Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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中部記念幹部会 人生の勝利は″朝の勝利″から

1988.3.28 スピーチ(1988.1〜)(池田大作全集第70巻)

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19  広布に徹する人こそ尊き仏子
 最後に、ともどもに御書の一節を拝しておきたい。
 「おのおの・わずかの御身と生れて鎌倉にゐながら人目をも・はばからず命をも・おしまず法華経を御信用ある事ただ事とも・おぼえず
 これは四条金吾の夫人、日眼女にちげんにょに対して佐渡から送られた「同生同名どうしょうどうみょう御書」の一節である。日眼女と親しく、ともに信心に励んでいた藤四郎とうしろう夫人も、この御手紙を一緒に読むよう述べられている。
 ──あなた方お二人は、それぞれ大した身分の生まれではない。守ってくれる強大なうしろだても持ってはいない。しかも佐渡流罪という大難の真っただなかである。幕府のひざ元である鎌倉では、門下への迫害の嵐が吹きすさんでいる。その鎌倉にあって、人目をはばかることもなく、堂々と信仰の旗を差し上げておられる。命をも惜しまず法華経の信心を貫いておられる。このことは、ただ事とは思われない──。
 続けて″さぞかし、お二人の心に仏・菩薩が宿られたのであろうか″と、大聖人は最大に賛嘆しておられる。
 二人の婦人には、権力も地位もなかった。ただ強盛なる信心があった。いわゆる有力者や有名人との特別なつながりもなかった。ただ師・大聖人との絶対の″生命のきずな″があった。同志との清らかな「連帯」があった。
 最悪の機根とされた末法の衆生である。また名もない平凡な婦人である。にもかかわらず権威にも屈せず、苦難をものともせずに、最悪ともいうべき環境で、健気に信仰に生き、広布に徹していった。その尊き姿を、大聖人は「ただ事とも・おぼえず」とまで仰せになっておられるのである。
20  学会の広宣流布の歴史にあっても、今日の盤石な基盤を築いたのは、平凡な無名の庶民の力であった。
 ここ中部においても、これまでも幾つかの大きな苦難の峰があった。しかし皆さま方は、強盛な信心ですべてを見事に乗り越えてこられた。その尊き、悔し涙も、広布への不屈の一念も、私はよく存じあげているつもりである。何より御本仏・日蓮大聖人が、皆さま方を最大にほめたたえ、称嘆されていることは絶対に間違いないと確信する。
 皆さま方こそ、成仏への直道を歩む方々である。その功徳は三世に輝き、鍛えられた幸福の″我″は生々世々にわたって決して、壊れない。仏法の眼から、また「永遠」の眼から見る時、最高に尊き存在の仏子であられる。その自覚と誇りと感謝が、また自身の生命を飾っていく。
 最後に、今日の栄光の舞台を築かれた中部の大切な皆さま方のご多幸をつつしんでお祈り申し上げたい。そしてさらに、青年部の諸君をはじめとして、この愛する中部の地に、「もう一歩」盤石な、「もう一歩」深く強き広宣流布の基盤を築いていっていただきたい。
 そして信仰されている方々も、いまだ信仰されていない方々も、総じて、豊かなる福運の光に包まれゆく「偉大なる中部」の建設を念願し、また確信しつつ、記念のスピーチを結びたい。

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