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日蓮大聖人・池田大作

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和歌山広布35周年記念研修会 陰の労苦の人を守れ

1988.3.23 スピーチ(1988.1〜)(池田大作全集第70巻)

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9  広布先駆の同志を最大に顕彰
 私どもは無名であっても、社会のために行動し、人々のために貢献した方々がもっと正当に評価される時代をつくらなくてはならない。
 とともに、そうした人々への真実の報い、顕彰とは何か。それこそ三世永遠の「大法」たる妙法による以外にない。妙法こそ、過去に亡くなったいかなる人であっても、子孫らが唱題し、追善していくことにより、成仏の軌道へと入らしめる絶対なる大法だからである。これだけは、いかなる権威、権力、財力による報い、顕彰も及ばない、生命の根本次元の問題なのである。
 久松五勇士や西原青年の雄姿を思う時、すぐに二重写しとなって私の脳裏に浮かぶのは、広宣流布に進みゆく凛々りりしき地涌の勇者の姿である。
 我が妙法の同志は、華々しく称賛され、顕彰されたことなど、一度もなかった。それどころか、時には罵倒ばとうされ、迫害されて、言葉に尽くせぬ苦衷くちゅうを味わったこともあったにちがいない。しかし草創の先輩達は、数々の困難に屈せず、自転車をこぎ、友を励まし、ドロまみれになって前進してきた。
 その血のにじむような精進と尽力があったからこそ、今日の輝かしい広布の繁栄が築かれたのである。その名もなき″誉れの先駆者″の方々の功績を、決して忘れてはならないし、私は絶対に忘れたことはない。
 むろん、有名でも偉大な人はいる。しかし、無名にして偉業を成す人は、さらに偉大である。これが私の不変の信念であり、我が学会の永遠の指針でもある。ここに学会の強さの所以ゆえんがある。
10  広布の庭には、光の当たらぬ舞台でも、誇り高く黙々と活躍している人がいる。たとえ、誰にもほめられなくとも、ひたすら自らの使命の道に徹し、行動している人もいる。そうした友を徹底して守り、支え、励ましていくことを、広布のリーダーは決して忘れてはならない。
 大聖人が佐渡在住の一婦人に送られた、次のような御手紙が思い起こされる。
 「さど佐渡の国より此の甲州まで入道の来りたりしかば・あらふしぎ不思議とをもひしに・又今年来りなつみ菜摘水くみたきぎこりだん王の阿志仙人につかへしが・ごとくして一月に及びぬる不思議さよ、ふでをもちてつくしがたし、これひとへに又尼ぎみの御功徳なるべし、又御本尊一ふくかきてまいらせ候、霊山浄土にては・かならずゆきあひ・たてまつるべし
 ――先年、佐渡の国からこの甲州の身延まで、あなたの夫の入道殿がきたので、実に不思議なことだと思っていたところ、また今年も来られた。そして菜を摘み、水をみ、薪を取り、檀王が正法を求めて阿私仙人あしせんにんに仕えたようにして(大聖人に御仕えし)一カ月にも及んでいるのは、何と不思議なことであろうか。筆で書き尽くすことはできない。これはひとえに、また夫人であるあなたの御功徳となるであろう。御本尊を一幅したためて差し上げます。霊山浄土では、必ず御会いいたしましょう――と。
 この御書を与えられた是日尼(ぜにちあま)について、詳しいことは分かっていない。あるいは、阿仏房の夫人である千日尼のことではないか、との説もあるが、明らかではない。
 いずれにしても、はるばる佐渡の地より何度も大聖人をお訪ねし、「自分のできることは、なんでもさせていただきたい」との一心で、陰の地味な仕事に徹した人がおり、さらにそのまた陰には、夫を送り出し、留守を守る妻がいたのである。二人は、名もなく、学識もない庶民であったかもしれない。
 この御文は、御本尊まします広布の城を真心で整備し、また陰の労作業にあたられている守る会、転輪会、金城会等の皆さま方に相通ずるものがあると私には思えてならない。
 また、この夫妻に、大聖人のもとで真摯しんしに仏法を研さんしゆく若き後継の姿を、やさしい笑顔で見守りながら、彼らの分までもと労作業に汗を流す先輩の「心」の発露を見ることもできるかもしれない。
 ともあれ、そうした健気けなげな一夫妻の姿を、大聖人は「ふでをもちてつくしがたし」とたたえてくださっている。ここに私は無名の庶民、真実に信心強盛なる人を限りなく慈しまれる、御本仏の大慈大悲の御境界を拝するのである。
 いずこにあっても感じることだが、陰で支える方々の真剣な活躍ほど尊いものはない。また、誰にたたえられ、顕彰されなくとも、そこには御本仏の御照覧があることは絶対に疑いない。そのことを確信し、今後も「広宣流布」の活動に、また「信心即生活」の実践に励んでいただきたいことを申し上げて、本日の話とさせていただく。

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