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日蓮大聖人・池田大作

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第11回富士宮圏幹部会 学会は正しき信仰の「善知識」

1988.3.1 スピーチ(1988.1〜)(池田大作全集第70巻)

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11  今年は「青年世紀の年」である。壮年、婦人部の方々についてだけではなく、青年のことも語っておきたい。
 かの「熱原の法難」の際、徹底して大聖人の門下、信徒を守りに守ったのは、青年・南条時光であった。障魔は執拗しつように、さまざまな手段で圧迫を加えてくる。信徒の中には年老いた人もいただろう。母親のような年配の婦人もいただろう。時光は、毅然きぜんとして、妙法で結ばれたすべての同志を守ろうと決意する。
 当時、幕府の行政機構の上では、本来幕府側に立たなくてはならない身であったにもかかわらず、彼は必死で戦った。
 大聖人はこの時、「殿もせめをとされさせ給うならば・するが駿河にせうせう信ずるやうなる者も・又信ぜんと・おもふらん人人も皆法華経をすつべし」――殿も攻め落とされるならば、駿河の国で少々信じているような者も、また信じようと思っている人々も、皆、法華経を捨ててしまうであろう、と励まされている。
 さらに「竜門御書」では「上野賢人」と呼ばれて、「此れはあつわら熱原の事の・ありがたさに申す御返事なり」と、法難を乗り切ったその外護の誠に対して最大の称賛をされている。まさに、いかなる苦難にも屈せず、先頭に立って広布の道を開いてきた「青年部の先駆者」と讃えたい。
 そして青年・時光の凛々しき姿に思いをはせるとき、戸田先生が、昭和二十八年七月一日、「開目抄(上)」の講義録発刊を記念して「若人の 高きほこりを 胸にして 支部のかしらと 指揮をとれかし」と詠まれた歌が、私には思い起こされてならない。
 青年部の諸君も、偉大なる先輩のあとをつぎ、若き広布の勇者としてこの富士の地で活躍をお願いしたい。
12  信心は人生、社会の知恵の源泉
 「無学は闇、学は光」とは、牧口先生がよく口にされていた言葉の一つである。
 御書を学ぶとともに、世間のすべての道理を学んでいくことが、自分自身の力を輝かせていく源となる。また、仏の別名を「世雄せおう」というが、仏法を持った皆さまは、社会にあっても力ある人材として活躍していかねばならない。
 その意味で、牧口先生は、先の言葉を引かれて次のように指導されている。
 「謙虚に真摯な態度で、無尽の知恵の宝庫ともいうべき一切の環境世界から、それを学びとることが大事である。
 仏法は、その正しい求道を教えたのである。大宇宙・人間・大自然という一切の生命を貫いて、すべてを創造、展開させている源泉の法、すなわち、それが南無妙法蓮華経であり、仏の生命である。経文には『諸仏の智は甚深無量なり』と説いている。
 この広大な力強い宇宙生命の根源のリズムに、自分自身の生命活動の呼吸を合わせ合致させるとき、たとえ一個の小さな人間生命であっても、そこにかぎりない生命力の律動、すなわち深く大きい智恵を湧現することができる。これを境智冥合というのである。
 しかし、ただ漠然ばくぜんと宇宙の法を考えただけでは何にもならない。そこで日蓮大聖人は万人ができる実践方法を確立された。すなわち根源の生命である万法の体を、南無妙法蓮華経の御本尊に縮図してあらわされたのである。
 したがって、私達は、御本尊を対境として信心すれば、そのまま大宇宙の生命と呼吸を合わせることになる。
 御書に『境の淵ほとりなく・ふかき時は智慧の水ながるる事つつがなし、此の境智合しぬれば即身成仏するなり』と。信心が知恵の源泉であり、最高に自分自身を輝かせていくことを知るべきである」と。
 信心を立派に貫いていくなら、ここにいわれているように、自然のうちに社会と人生を開いていく知恵がわいてくる。また、あらゆる幸福を、自分の身のまわりにつくり、人生を飾りゆくことができるのである。その素晴らしき仏法を持ち、生命の蘇生と人生創造のために信心に励んでおられる皆さま方である。必ずや、この現実社会で「所願満足」「常楽我浄」の人生を実証していけないわけがないことを確信されたい。
 最後に、今後とも、この富士宮の幹部会が、明年、明後年と回を重ねるごとに輝く歴史を築いていっていただきたいことを念願するとともに、皆さま方のご多幸とご活躍を心から祈り、私の指導とさせていただく。

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