Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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新宿、練馬区合同総会 この一生を青春の心で

1988.1.15 スピーチ(1988.1〜)(池田大作全集第70巻)

前後
15  これまでも繰り返し申し上げてきたことであるが、青春には、苦悩や挫折、失敗がつきものである。感性が繊細せんさいで鋭く、また、未来に大志を抱く優秀な青年であればあるほど、その挫折感も大きく、失意も深刻であることが多い。
 事実、ゲーテの一生も、「生」と「死」との絶えざる葛藤かっとうであったようだ。晩年、彼は、「若きウェルテルの悩み」の思い出に触れ「私は生き、愛し、悩んだ」と述懐している。
 ひたむきに激しく生き、愛したがゆえに、悩みに悩み抜いた青春であったにちがいない。しかし、彼は、ともすると死へと傾斜していく自分自身を、無限の創造性へと駆り立てていくことで、苦しみを芸術へと昇華させていった。ここに、天才ゲーテの真骨頂を、私は見たい。
 「青春の辞書には、失敗という言葉はない」(ブルバー・リットン=イギリスの作家)という一節が、私は好きである。未来への限りない可能性を秘めた青春時代にあっては、この心意気が大事であろう。
 またシェークスピアの戯曲に「逆境が人に与える教訓ほど、うるわしいものはない」(『シェークスピア全集4』小田島雄志訳、白水社)という言葉もある。悩みや苦難、挫折や失敗を、どう成長と向上への飛躍台としていくか――ここに人間としての真価が表れるといってよい。
16  最終の栄冠へ信念の旗を振れ
 若き日の労苦に耐え、苦しみを成長へのバネとしていった人は、数多くいる。
 いわんや″無量宝珠″ともいうべき御本尊を受持した私どもである。いかなる悩みや苦しみも変毒為薬し、それらが、最も価値ある人生勝利への源泉とならないわけがない。
 その意味からも、皆さま方は、苦悩のままに沈みゆく″ウェルテル″であっては、決してならない。最終の栄冠に向かって、生きて、生きて、生き抜いていく、信仰の勇者であってほしい。このことを、若き皆さま方に、強く申し上げておきたい。
 青春とは、希望の異名でもある。ゆえに、きょう成人となった方々だけが、青春なのではない。四十代であれ、五十代、六十代であれ、未来への希望がある限り、「永遠の青春」にあるといってよい。
 ゲーテは、うたう。
  未来が
  悲しみと幸福とをおおい包んでいる
  一歩一歩と見えようとも
  
  恐るるところなく
  前へ前へわれらは進む
  
  いよいよ重く
  畏怖いふをこめて
  おおい低くれ下がっている
  静かに天には星がいこ
  地にははか
  (中略)
  だが彼方から
  霊たちの声が呼ぶ
  巨匠らの声が呼ぶ
  「怠ることなく
  善の力をやしなえ
  
  ここに今 花冠がまれる
  永遠の静かさの中で――
  たゆまず努める者を
  ゆたかに飾る花冠だ
  たえずのぞみを失ってはならない」(高安国世訳、『ゲーテ全集 第一巻』所収、人文書院)
 ――あそこには蔽い帷がたれ、星も憩う″死″の世界がある。しかし、その彼方からは、私を励ます師らの声が響いてくる。″善の力を怠らずふるえ。そうすれば、花冠(栄冠)が待っている。だから君よ、希望を失ってはならない″と――。
 ゲーテもまた、胸中に「希望の光」をたたえながら、八十二年の″青春″を生き抜いた。皆さま方も、ゲーテに勝るとも劣らぬ″生涯青春″、いな「永遠の青春」を生きゆく一人一人であっていただきたい。
 限りなき未来性と創造性をおもちの皆さま方に、戸田先生の「もっとも偉大な人とは、結論するに、青春時代の信念と情熱を、生涯、失わない人だ」との言葉を贈り、本日のスピーチとしたい。

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