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日蓮大聖人・池田大作

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第十一章 青年に託す日伯友好の未来  

「太陽と大地開拓の曲」児玉良一(池田大作全集第61巻)

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3  青年へのメッセージ
 池田 さて、先駆者といえば、ブラジルの“奴隷解放の父”として有名な作家ジョアキム・ナブコ(一八四九年―一九一〇年)を思い出します。日本移住八十周年の一九八八年は、ちょうど奴隷解放百年にも当たると聞いてます。
 児玉 奴隷はひどかったらしいですよ。私らも聞いたことがあります。
 池田 ナブコは学生時代、自由主義・人道主義の高まりに強く心を動かされ、奴隷制廃止運動に参加しました。卒業後、若くして政治の世界に進み、武力によらず、人道的・合法的な方法での完全な奴隷制の撤廃をめざそうとしました。
 反奴隷制協会を創ったのが三十一歳でした。二度目の選挙では、奴隷解放を唱える立場が災いして落選する。しかしその後も論文を書いて出版したり、詩人やジャーナリストらを巻き込んで街頭運動を起こして、若き情熱と知性の力で人々の力を結集しました。
 そうした人々の努力が結晶して、ついに一八八八年、奴隷解放令が議会を通り、公布される。これによって自由になった黒人は七十五万人とも言われています。
 児玉 ブラジルには、いろんな国の人がたくさんいます。ポルトガルやらイタリアやら……。私ら日本人も、最初はめずらしがられたけれど、よくしてもらいました。
 池田 ナブコをはじめとする青年や、多くの人々が、自由を求めて戦いました。多民族国家ブラジルは、先人たちの解放の戦いによって勝ちとられた国と言えるかもしれません。
 ブラジルSGIの中心者も、アメリカの南北戦争と違い、ブラジルでは、一滴の血も流さずに奴隷解放を成し遂げた、これは、特筆すべきことだと語っておりました。
 最後に、人生の先輩として、日本の青年たちに、何か一言、メッセージをいただければ。
 児玉 ちょっと、わかりませんね(笑い)。私は学のないほうですから、いい言葉がね。学校の勉強も小学校五年までです。そのころからブラジルに来て、それで着くまでは楽しかったんですがね。働く段になったら、仕事は辛いし、言葉はできないし、勉強どころじゃなかった。もっと世間の人たちと交わっていれば、学べたかもしれませんが。
 池田 青春時代、ブラジルの母なる大地の“学校”で学ばれた児玉さんです。
 人生のこと、日伯友好の将来のことなど、たくさんうかがってきましたが、どのお話も「生きること」と「学ぶこと」が一体になった尊い語り部です。
 児玉 いやいや、ありがたく思います。
 でも、もともとブラジルのことを知っていたわけでもないし。ただ、見よう見まねで、失敗しては考え、夢中でやってきましたよね。ですから、くよくよしないで、前向きに生きていこうってことでしょうね、私から言えるのは。
 池田 仏典に、「心が弱ければ、多くの能力も役に立たない」(御書一二二〇㌻。趣意)とあります。現実の人生には、勇気ある強い心がいかに大切か。
 児玉 それと、あとは、やはり日本の人たちに感謝したいです。これまでの日本の発展があったから、私らもブラジルで生活することができた。
 だから、これからも若い人たちに日本の将来をお願いしたいし、またブラジルのような国にも来ていただいて、今以上に発展させてほしいですね。
 池田 よくわかりました。ありがとうございます。いろいろ、面倒な質問もしましたが、お許しください。すばらしい「人生哲学」を学ばせていただきました。
 どうかこれからも、日伯友好の“黄金の柱”として、ブラジルの大地とともに、永遠なる「開拓の詩」を綴り、残していってください。
 長時間、本当にありがとうございました。
 児玉 こちらこそ、いろいろな話をしてくださって、うれしかったです。
4  児玉良一さんはこの対談のあと、一九八九年九月に逝去されました。慎んで哀悼の意を表しますとともに、ご家族の御多幸をお祈り申し上げます。

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