Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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第九章 心と心結ぶ文化の道を求めて
「太陽と大地開拓の曲」児玉良一(池田大作全集第61巻)
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「会うのが始まり」
池田
ところで、児玉さん、お父さんはおいくつで亡くなられたんですか。
児玉
九十一歳です。ブラジルへ渡って以来、初めて私が日本へ行ったのが一九四六年(昭和二十一年)。たしかその翌年ですね。こっちに訃報が届いたのが遅かった。
池田
でもご長寿でしたね。お母さんは。
児玉
お母さんのことはよく覚えていませんね。亡くなったのは私の家内の翌年です。私が家を出て移住してから四十年くらいが経っていました。
池田
日本で再会した時が最後になったわけですね。なにしろ明治時代に行って、昭和に里がえりした。でも三十八年ぶりに親孝行ができましたね。
児玉
その時の気持ちは言葉に出せないほどでした。お父さんはその時、目が悪くなっていました。私を見分けられたかどうか、わからないくらいでしたね。
池田
どんな言葉を交わされたんですか。
児玉
お父さんは私に「会うのが始まりだ」ということを言いました。私はよく返事しなかったけれども、うれしいやら、でもお父さんの目がよく見えないことを思うと、まあ、寂しいような思いをしました。
池田
万感迫る一言です。本当は跡を継いでほしかった。しかし、長男は家にいないとずっと決めてきた。お父さんは児玉さんを最大に理解し守ってくださったんでしょうね。
十三歳からずっと遠く離れても、児玉さんはお父さんに似たんじゃないでしょうか。そんな気が私はしますが。
児玉
私は、日本というと広島のことがまっ先に思い浮かびますね。自分の故郷ですからね。
池田
子どものころ過ごされた日本と、第二の故郷ブラジルでは、自然環境もずいぶん違うと思いますが。たとえば日本には四季がありますけど、ブラジルでは季節の変化はどうですか。
児玉
まあ、春になりますと木の葉が青くなって、それで秋になると、ちょいと色がついたり。そのかわり、ほんのちょっとですがねえ、日本みたいにはっきりとしてないですから。
今日暑くても、明日になったらもう寒くてね。夏でも寒い日もありましたね。ブラジルでは季節ということがわからん。(笑い)
まあ、ただ月から言ってね……。日本と反対になるんですよね。それで作物ができあがったら秋だったんですね(笑い)。そのくらいの違いですよ。
池田
そうですか。児玉さんは、日本の春夏秋冬では、どの季節がいちばん、好きですか。
児玉
私は春がいちばん好きです。
池田
理由は?
児玉
とにかくすべてが新しくなるから。子どもの時から変わった場所を見るのが好きだったし、「ああ、きれいなところだな」「変わった木がある」とかね。そういうものが目につきました。
池田
仏典にも、「春の初めの喜びは、木に花が咲くごとく、山に草が萌え出ずるごとくである」(御書一五八五㌻。趣意)などと表現されています。たしかに不思議なリズムですよね。
それにしても、新しいものが好き――児玉さんらしいですね。
児玉
ちょっと出ていけば、この町はたいそう寂しいと思われるところでも、私としては新しいところを見られるということでね。まあそういう感じだったと思いますよ。
そのころは遠くに行くときは草鞋を履いてましたよね。お父さんから、草履やら草鞋やら、まあいろんなものを作れといわれてね、晩に作ったり。冬になると、馬にも草鞋を履かしとったからねえ。(笑い)
池田
もう今ではめずらしいですからね。
児玉
ブラジルでは暖かいですから、そういうことはない。当時は裸足が普通だったですね。土になじんでいるというか――。
まあ、東北のバイア州とかペルナンブコ州では、日本のと違った草履を履いていましたけど。ブラジルの草履は幅が広くてね。面白い格好なんですよ。
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陽気な国民性
池田
日本とブラジルでは人々の性格はだいぶ違うと思われますか。
児玉
ブラジル人はたいへんに陽気な性格です。「どんなに生活が苦しくても、いつかよくなる」という希望は必ず持ってます。それが陽気さになって表れているんじゃないでしょうか。
池田
象徴的な点ですね。ブラジル人の陽気さと言えば、なんといってもリオのカーニバルです。あの華やかな一大絵巻を、だれもが一度は見たいと言いますね。
児玉
私はリオじゃなくて、サンパウロのカーニバルを高いところから見たことがあります。飾り立てた山車を馬が引いて、それに女の人が乗ってね。今と違って小規模で、山車も二台くらい。大部分が歩いてパレードしてましたね。
池田
児玉さんは、サンバを踊ったことは。(笑い)
児玉
それが、いつでしたか、ちょっと踊ったことがあります。(笑い)
池田
さすがですね。それでは、「日本人でよかった」と思ったことはありますか。
児玉
それはよかったですよ。最初はめずらしくてジロジロ見られましたけど、ブラジルの中に日本の一つの歴史ができたんですから。それとブラジルに日本のいいところを認識させたということかね。
池田
「ブラジルの中に日本の一つの歴史ができた」――たいへんなことです。いずこの天地にあっても、そこで新しい「歴史」を刻み残した人は、勝利者です。
さて最近、日本ではお年寄りの「生き甲斐」が問題になっています。ブラジルではどうですか。
児玉
ブラジルではそういうものはないと思います。どちらかというと豊かな国の問題じゃないですか。ここではまだ生活がたいへんですから、お年寄りも健康であれば何かの形で頑張っています。
池田
ブラジルの日系人に、何か残しておきたい伝統・習慣は。
児玉
とくにありませんけど、ブラジルはまだたいへんな国ですから、その発展に貢献し、子どもの教育に力を入れていただきたいと思います。
池田
ブラジルは魅力的で奥深い国ですが、今後さらにどのように発展していくと思いますか。
児玉
ブラジル人は陽気で大らかです。けれど、もっと勤勉になって、仕事をすることが必要でしょうね。この点では日本人を見習わなくてはなりません。
また政治家とかはその模範を示して、国民にいい影響をあたえなければいけない。
池田
それは日本も同じです。(笑い)
児玉
日本は、真剣で真面目な国だと思います。日本の男性は勤勉で、よく仕事をすることでブラジル人のなかでも有名です。
「どうしてそんなに仕事をしなくちゃいけないのか」(笑い)とよく言われます。
それに女性もよく働きますし、親切です。ブラジルでは女性を尊敬します。日本の女性はとくに尊敬されます。
でも、日本の会社に勤めることを嫌がる人もいます。あまりにも多く仕事をさせられて、給料が安いからです。
池田
二世の人たちからは、“日本の会社では、仕事上の権限をあたえられる機会が少なくて、張りあいや楽しみがない”という不満の声も多いと聞きました。
人生に対する考え方の違いというか、そういう点を見直していくことは、今後の日本人が心すべき大きなポイントです。
児玉
日本は狭い国で、人口が多いし、一人一人が一生懸命努力しなければいけないのではないですか。そうすると、まわりの人に、いちいち気をつかう余裕もなくなってきますよね。ブラジルは何もかも大きいし、競争も激しくないから大らかになるんでしょう。
池田
一つ一つ丁寧に答えてくださり、申し訳ありません。
児玉
いえ、いえ、大丈夫ですから。
池田
では、児玉さんが日本語でいちばん好きな言葉は何ですか。
児玉
「ありがとう」が好きですね。
池田
勤勉・誠実、そして感謝――。児玉さんの人生のなかに、日本人の忘れかけている大切な「心」が生きているように思えてなりません。
児玉
いやいや。でも、最近の若い日本の人たちを見てると、“ブラジルにいる日本人のほうが日本人らしいな”(笑い)と感じることもありますよね。
池田
今、ブラジル人の一人として日本の人々に要望はありますか。また、ブラジルの人々に対して何か望まれることは。
児玉
むずかしいことはよくわからんですが、日本には、ブラジルのことをもっと信頼してもらいたいですね。
また、ブラジルはこれからは、もっと自分たちの力で国をよくしていかねば。
池田
鋭いご意見です。では、もう一つ、日本人が外国の人と交流するとき、こうしたほうがいいと思うことはありますか。
児玉
日本人は無口ですね。いらないことはあまりしゃべらない(笑い)。まあ、私みたいなもんじゃ。(大笑い)
でも、恥をかいてもどんどん話をするのは大事なことです。私らもブラジルに来たら、とにかく言葉を覚えないと食えないから必死で話しました。
池田
私も青年たちに“語学は度胸”とよくアドバイスするんですよ。
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