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日蓮大聖人・池田大作

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学会創立五十七周年記念勤行会 「創立の志」を広布の炎と

1987.11.18 スピーチ(1987.7〜)(池田大作全集第69巻)

前後
26  アランが師のラニョーと出会ったのは十八歳の時。ラニョーから現実社会のなかで″生きている″哲学を学んだ。それは″新しき精神″の目覚めであり、″新しき世界″の発見であった。まさにアランにとっては、″青春の朝″ともいうべき覚醒の日々であった。彼は、この時代を振り返り、″哲学者は朝ごとに二重の目覚めをする″(『我が思索のあと』田島節夫訳、『アラン著作集10』所収、白水社)といっている。
 すなわち、人が毎朝、目覚めるということは、本来、それ自体が、日々、新たな世界との出あいである。その上で、哲学をもち、新しい「ものの見方」を学んでいくことは、二重の意味での「目覚め」といえる。アランは師ラニョーのもとでは、その新鮮な感動の連続であったにちがいない。
 「スタンダールの『人生は朝から成る』との言葉を愛していた」(前掲『ラニョーとアラン』)というアランは、いわば″朝の哲学者″だったのかもしれない。教えるにも、この言葉を繰り返し語ったといわれ、太陽が昇る「朝」のイメージをこよなく愛していたようだ。
 話の内容は若干異なるが、一日一日の充実には、朝の出発こそ肝要である。朝の勝利は、一日の勝利となり、やがて人生の大勝利へと結実していく。
 そのためにも、朝の勤行が大事である。朝の勤行は″生命の目覚め″であり、胸中に赫々かっかくたる太陽を昇らせゆく源泉であり、この生命の大いなる覚醒の座から出発していくならば、その日一日、新鮮な「朝」の息吹をたたえ、確実な充実と成長の″一歩″を刻みゆくことができる。まさしく勤行は、荘厳なる「元初の朝」の儀式なのである。
27  さて、ラニョーは、高校での教育に自身を捧げ尽くし、四十二歳で逝去する。前述のごとく、著作を出す余裕もなかった。アランは、その師をしのんでいう。
 「師は現代のもっとも深遠な哲学者の内に、生前当然地位を占めるべきであった。師を敬愛する者、師からじかに全思想を授けられた者達は、師がこのような地位を死後占めうるよう、努めねばならない」(前掲『ラニョーとアラン』)
 そして、この言葉通り、アランらは全魂を込めて、ラニョーの講義草稿をまとめ、出版する。麗しい師弟愛である。師を思う弟子の深い一念に、私は胸を打たれる思いがする。
 アランは、生涯を通じて、繰り返し繰り返し、ラニョーを宣揚した。こうして今日、ラニョーの名は、アランとともに、歴史の花園に馥郁ふくいくと薫りを放っている。
 著名な作家モーロア(一八八五年〜一九六七年)は、アランの教え子であった。つまり、ラニョーの孫弟子にあたるが、モーロアもまた、師アランの伝記を、敬愛の心を込めてつづった。その冒頭の一節は、こうである。
 「アランはつねに偉大だが、師ラニョーについて語るとき、かれはつねにもまして偉大である」(『アラン』佐貫健訳、みすず書房)
 人生には、数限りない「出会い」があり、数限りない「絆」がある。しかし、そのなかにあって、「師弟の出会い」「師弟の絆」こそ、もっとも崇高なる″精華″であると思えてならない。このことを申し上げ、記念のスピーチとさせていただく。

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