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日蓮大聖人・池田大作

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九州広布三十五周年記念勤行会 希望の航路へ新しき船出

1987.10.20 スピーチ(1987.7〜)(池田大作全集第69巻)

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29  信心の幸の大輪を年ごとに
 さて、よく「自分は学会にこれだけ多大な貢献をした」等という人がいる。しかし、こういう人は、たいてい自分自身の宣伝に過ぎない。実際には大したこともしていないのに、自己を過大に宣揚して騒いでいる場合が多い。
 学会員は総じて、みな真面目であるし、人がよい。ゆえに、こうした人々に、だまされてはならないと、あえて申し上げておきたい。私も何度となく善意を裏切られてきた。このような人は、最後はやはり去っていったり、退転したりした人が、事実の上で多い。
 また、いわゆる著名人とか、それなりの社会的地位のある人とか、虚栄の人が「学会は私に何かしてくれるのが当然だ」と言ったり、そういう不平を持ったりし、それが理由で信行を怠る場合も多々ある。しかし、それは全く転倒した考えである。私達が頼んで学会に入ってもらったわけではない。信心をするのも、やめるのも、本人の自由である。むしろ、正しき信行の実践をしようとしないのであれば、かえって迷惑な存在となると言わざるを得ない。
 ともあれ、妙法の絶大な功徳を受けられるかどうかは、自分自身の「一念」の姿勢で決まる。成長するのもしないのも、功徳を受けるのも受けないのも、すべて信心の「一心の妙用」であることを忘れてはならない。
 「道理証文よりも現証にはすぎず」と大聖人は仰せである。まじめな信仰を力強く続けていった人は、長い目で見る時、すべての人々が厳然と幸福を享受している。反対に、策の心と傲慢と要領だけで組織の中を泳いでいるような人は、やがて人々から見放されていく。また清浄な信心の世界から去っていかざるを得ないであろう。
 しかし、御本尊即大宇宙であられる。どういう人が出ようとも、どういう人がいようとも、誰びとも、宇宙の外へ逃げ出ることはできない。ゆえに、いつかまたみずからの過ちに気がつき、反省せざるを得なくなる時がくるに違いない。そして懺悔をしながら、また妙法の世界に帰ってきて、私ども地涌の友を守っていかなければならない時がくるに違いない。これが妙法のリズムであり、絶対の法則だからである。
 ゆえに三世にもわたる長い目で、我々は大きく見ていかなければならない。
30  ともあれ、今、学会は、信心の花が満開である。すがすがしき晴天つづきである。天空の月も、満月である。そして日本全国、世界各国に植えられた妙法の大樹は、その土地に根を盤石に張りめぐらしている。
 これからは一年また一年、年ごとに、偉大なる妙法の花が咲き薫っていくに違いない。皆さまの人生もまた、年ごとに素晴らしき幸の大輪を花開かせていく歩みであっていただきたい。
 最後に今回の諸行事の大成功に対し、重ねて九州のすべての友に感謝申し上げたい。皆さま方のご多幸とご健康を祈りつつ、また青年部の諸君の前途に「大いなる栄光あれ」と申し上げ、本日のスピーチとさせていただく。

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