Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二東京支部長会 二十一世紀へ人間復興の大運動

1987.10.11 スピーチ(1987.7〜)(池田大作全集第69巻)

前後
34  羅什は、この長くも厳しき時代を乗り越え、長安の都へようやくたどりつくと、蓄えに蓄えた力を一気に爆発させるかのように、猛然たる勢いでただちに翻訳作業を開始した。そして、ライフ・ワークともいえる「法華経」の見事なる漢訳を完成させたのである。少年時代に生命に刻んだ師の言葉を、四十余年の歳月をかけて見事に実現させ、誓いを果たしたのである。
 時に羅什は五十七歳であったといわれている。それは、人生の最終章における勝利の大逆転劇と私はみたい。
 皆さま方も、それぞれの広布をつづりゆくライフ・ワークといえるものをもっていただきたい。私は、私なりのライフ・ワークをもち、その実現に進んでいるつもりである。
 なお、羅什にも、素晴らしき弟子がいた。なかでも僧肇そうじょうは、まだ十代の頃に(一説に十九歳ともいわれる)、当時もっとも苦境にあった羅什を、わざわざ隣国から訪ねて、最初の弟子となった。以来、僧肇は、十年余り、その若い生命をもって、すべて師・羅什三蔵の偉業を助けるために、燃焼し尽くした。これこそ真の弟子の道といってよい。
 彼は労咳ろうがい(肺病)のため、師・羅什の亡きあと、そのあとを追うように早逝そうせいしている。また、羅什とその師・須利耶蘇摩との美しきエピソードも、この孫弟子にあたる僧肇が記録したものである。
 このように仏法は、時代を超え、国境を超え、民族を超えて、この「師弟」という崇高なる絆の中に、脈々と受け継がれていった。広宣流布における学会精神も同じであると確信したい。
35  信心は永遠に若き″青春の心″で
 学会は、これまで若かった。若いがゆえに力があった。希望があった。みずみずしい生命力もあった。その力が難を越え、怒濤を越えて、広宣流布への大道を開いた。風雨があっても、嵐があっても、たくましい生命力で、代償を求めず戦ってきたがゆえに、壮大なる広宣流布の城が出来上がった。
 しかし、私をはじめ、多くの最高幹部は老いてきた。自然に肉体的にも弱くなり、精神的には受け身となる。ともすると、学会のたくましく、力強い前進の足音が弱まっていくことがあるかもしれない。
 だからこそ、私は申し上げておきたい。
 「信心とは、永遠に若き″青春の心″でなくてはならない」と。
 また、きょうは今月度の「高・中・少の日」でもある。その意義を踏まえ、二十一世紀を託しゆく未来部、青年部をさらに大切にし、訓練し、この後継の方々に、見事な素晴らしい広宣流布へのバトンタッチをしゆくことを願って、私のスピーチを終えたい。

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