Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第2回中部総会 創造的人生を使命の道で

1987.9.21 スピーチ(1987.7〜)(池田大作全集第69巻)

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33  将の将として自身を磨きぬけ
 次に、ナポレオンについては、総本山で行われた学生部の夏季講習会でも話したが、ナポレオンのモスクワ遠征が、なぜあれほどの敗北と悲劇となったか。その理由の一つとして、ロシアとの和平交渉がずるずると長引いて、ナポレオン軍が一ヶ月余もモスクワに足止めさせられ、冬を迎えてしまったことがあげられている。
 この点について、ナポレオンの部下の将校たちは、「彼がいままでのように情況に応じてきびきびと流動的にすばやい決断を下さないのに驚いた……、ナポレオンの天才はもう情勢に即応できないのである」(長塚隆二『ナポレオン 下』読売新聞社)と、以前とは違うナポレオンの姿に不信をいだく。
 なぜそうなったか。――「彼の生来の頑固さのせいにするが、彼がのぼりつめたのはそのおかげであると同時に、それが没落の原因にもなるのだ!」(同前)と。鋭い分析である。
 このナポレオンの姿から、指導者のあり方として思うことは、功なり名を遂げた立場に安住して、新鮮にして的確な判断力を失ってはならないということである。
 時代も社会も刻々と動いている。きのう通用した方法が、きょう通用するとは限らない。しかし幹部となると、その在任期間が長くなるにつれ、人の意見を聞かず、自分の考えに固執しがちになる。また、どうしても保守的となり、時に応じた適切な判断ができなくなるものだ。また、立場が上であればあるほど、多くの人々を迷わせ、誤った道に導くこととなる。幹部の皆さま方は、この点を、よくよく銘記していただきたい。
34  また、ナポレオン軍の将軍として、ネイ元帥がいた。彼は、ナポレオンと同じ年で、たる屋の息子として生まれ、学歴も初等教育を受けただけであった。しかし、数々の戦功をたて″勇者の中の勇者″とたたえられた。
 だが、ナポレオンの興亡を決したワーテルローの戦いにあって、ネイの「いたずらな『猪突猛進』」は決してほめられるものではなかった。
 ナポレオンは次のように言う。「つねに砲火の陣頭に立つネイは、自分の目にふれない部隊のことは、すっかり忘れていた。最高指令官が発揮すべき勇猛さは、師団長がもつべき勇気とは異質のはずであり……」(同前)と。
 将の将たる幹部は、常に自分の目にふれる範囲だけに気を配っていればよいという考えだけであっては絶対にならない。目に見えない陰の分野で活躍している人達こそ、こまかく心を配り、励ますことを忘れてはならない。これが戸田先生の指導であったし、私も常に心がけてきたことである。
 また、自分だけの狭い範囲の、しかも旧態依然とした考えでは、多極化する現在の状況に対応できないであろう。
 ゆえに、広布のリーダーである皆さま方は、責任ある立場にあればあるほど、絶えざる研鑽と多くの人々との対話、そして人に倍する労苦によって、自身を磨き、境涯を深めていただきたい。そうしたみずからの錬磨と成長なくして、これからの時代の指導者とはなりえないことを強く申し上げておきたい。
35  昨日もお話ししたように、よくぞ中部の皆さま方は、正法の歴史にさんたる盤石なる広布の基盤を築いてこられた。日蓮大聖人もことのほか御称賛くださるにちがいない。
 この中部の地にも、数々の苦難の嵐はあったが、皆さま方は″地涌の勇者″として、立派に広布の道を歩み、開いてこられた。そして今日の中部の大勝利の姿を見ることができた。それは必ずや、今後、二十年、三十年と、年月を重ねるごとに、皆さま方の福徳となって薫っていくにちがいない。
 皆さま方の凱歌の人生が、神々しいまでも晴れやかに輝きわたっていかれんことを念願し、本日のスピーチとしたい。

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