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日蓮大聖人・池田大作

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群馬県記念幹部大会 栄えよ! 郷土に誇りもち

1987.8.15 スピーチ(1987.7〜)(池田大作全集第69巻)

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23  心なごむ美しき自然
 ところで、渋川市に隣接する温泉の町として有名な伊香保町について、少々、述べておきたい。
 この町は、榛名山の北東斜面に位置するが、その温泉はまことに古い歴史をもち、約二千年前の開湯との説もある。『万葉集』『続日本紀』『三代実録』等に、すでに「伊可抱」「伊加保」「伊賀保」などの名前が見られる。が、その名を広く世に知らしめたのは、この地をこよなく愛した明治の文豪・徳富蘆花の小説『不如帰ほととぎす』であった。
 そこには次のような描写がある。
 「ここらあたりは一面の草原なれば、春のころは野焼きのあとの黒める土より、さまざまの草萱萩かやはぎ桔梗ききょう女郎花おみなえしの若芽など、生え出でて毛氈もうせんを敷けるがごとく、美しき草花その間に咲き乱れ、綿帽子着た銭巻ぜんまい、ひょろりとしたわらび、ここもそこもたちて、ひとたびここにおり立たば春の日の永きも忘るべき所なり」(岩波文庫)――。
 青春時代に読んだ私の大好きな一節であり、伊香保周辺の美しい新緑の平原の様子を、生き生きとつづった名文である。私は若き日、多くの名文を暗記するようにしていたが、この文章もその一つであった。日本の自然の美しさを、強く心に刻んだ、忘れえぬ一文となっている。
 さらに蘆花は、「春の山から」との詩の中で、″栄えよ 伊香保の里″と歌っている。
 私も、ここで、胸の奥深くから″栄えよ 群馬の友″と申し上げたい。
24  歌人・与謝野晶子は、日露戦争のさい、出兵した弟の身を案じてんだ反戦の詩でも有名だが、彼女は「伊香保の街」と題した詩を残している。
 「榛名山の一角に、/段また段を成して、/羅馬ロオマ時代の/野外劇場アンフィテアトルの如く、/斜めに刻み付けられた/桟敷さじき形の伊香保の街」(『与謝野晶子全集 第七』文泉動出版)と、階段状に立ち並ぶ、伊香保の街を表現している。
 「はるな平和墓苑」にも小さいながら野外劇場があり、この意義を含めて、私はそれをローマ劇場を命名させていただいた。
 この伊香保は、山あいの傾斜地に温泉宿が並び、とくに春・秋など、周囲の美しい自然が人々の心をなごませてくれる。私も訪問するたびにすがすがしい気持ちを抱く、本当に素晴らしい街であると思う。
25  古来、榛名山のことを「伊香保嶺いかほろ」といったが、「伊香保」の名は、何に由来するのであろうか。
 諸説あるようだが、伊香保温泉略説によれば「いかほの名義の起れるは、『イカメシキイハホ』と言う所より名づけたりと云へり……」(吉田東伍『大日本地名辞書』冨山房)とある。つまり、山の周辺は原野であり、耕地も少なかった。若干ある田畑にも浮石うきいしがまじるなど、作物を実らせるには厳しい環境であった。このような状況から、「厳穂いかほ」と呼ばれるようになった。また険しい山容「いか」からきたともいわれる。その他、アイヌ語の「イカホップ(暖かい湯)」に由来するとの説もある。
26  これまで縷々るる述べてきたように、群馬は、まことに豊かな自然と、歴史、文化に恵まれた天地である。ここ渋川市も、新幹線駅誘致の運動が起きており、そうなれば格段に交通の便が良くなるなど、大発展への確実な胎動が見られる。
 そうした地にあって、群馬の皆さま方は、どうか、素晴らしき人生のために、素晴らしき信心を、素晴らしき自身と国土の歴史をつくるために、素晴らしい異体同心の努力をお願いしたい。そして、日本、いな、世界に範たる、素晴らしい国土を建設されんことを心から念願し、スピーチとさせていただく。

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