Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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記念県長研修会 正しき仏法は生活、社会に脈動

1987.7.29 スピーチ(1987.7〜)(池田大作全集第69巻)

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24  私が大変に尊敬し、すばらしいと思うことは、北海道には退転者が少ないということだ。この函館圏でも、大聖人の正義に違背した正信会の嵐があったが、それに紛動されて退転していった人はわずかであった。その意味で、北海道の信心の基盤は盤石なものができあがっており、安定感がある。
 これまでも話してきたが、退転者には共通の姿がある。それは、世間体を気にする。見栄っ張りで、おごりのある人に多い。また、憶病の人、ずる賢い人、策に走る人、権威の人などもそうである。
 社会的に有名な人も学会には多くいる。しかし人格的に問題のある人は、結局長続きしていない。また、あんな人は学会にいない方がいいと皆からいやがられながら、しがみついてくる人(笑い)、学会のお陰で偉くなりながら慢心と保身で信心をなくした人も、まじめな学会の世界にいられなくなり、やがては去っている。どうか皆さんは、どのような立場になっても、悲しき退転の道だけは歩んではならない。つねに自分を磨き、人格を深めながら、広布と信心の誉れの道を進んでいっていただきたい。
 朝な夕な、いかなる困難や障害をも乗り越えながら、凛々りりしき、雄々しきかんばせで、理想に向かって進みゆく青年時代がある。青年時代は胸を張って、はつらつと広宣流布に励む人は多い。
 だが壮年になるにしたがって、生気が乏しくなる。希望が薄らいでくる。愚痴も多くなる。愚痴も多くなる(笑い)。それにつれて人生の輝き、信心の輝きが薄らいでいく人も多い。それではあまりにもわびしい。その傾向は、高齢化とともに一層、濃厚になっていく場合もある。
 たしかに生老病死、成住壊空からいっても、それは厳しき現実の一つの実相かもしれない。しかし、信心の強さ、信心の輝きは、年代によって変わってはならない。
25  私どもの信心は、遠くは御開山日興上人が八十八歳になられても、厳とされていた御姿を忘れてはならない。第三祖日目上人の七十四歳になられてもなお国主諫暁に向かわれた峻厳な御姿を忘れてはならない。近くは、牧口先生の、七十三歳にしてなお獄中で貫かれた死身弘法の信心を見失ってはならない、と強く申し上げたい。
 どうか、青年の″午前八時の太陽″のごとき生命力あふれる信心、壮年の人生経験豊かな炎のごとく輝く信心、人生の総仕上げをめざす先輩の方々の赫々かっかくたる信心、この青年と壮年と大先輩の方々の、三つの信心の光と力があいまって進んでいくとき、無限にして迫力ある広宣流布の推進がなされていくことを確信してやまない。
 皆様方のますますのご健勝とご多幸、ご奮闘を心から念願し、本日の記念のスピーチとさせていただく。

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