Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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学生部結成30周年記念総会 指導者は「生命の尊厳」を第一義に

1987.6.28 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

前後
16  大聖人御在世当時、そのように「智者」とあがめられながら、最も卑劣な方法で大聖人を迫害した聖職者がいた。有名な極楽寺良観である。大聖人は、その悪の本質を鋭く喝破かっぱされている。
 四条金吾への御返事である「王舎城事」には、極楽寺の火災にふれて、次のように仰せである。
 「名と申す事は体を顕し候に両火房と申す謗法の聖人・鎌倉中の上下の師なり、一火は身に留りて極楽寺焼て地獄寺となりぬ、又一火は鎌倉にはなちて御所やけ候ぬ」と。
 すなわち、その火事は″極楽寺″を焼いて″地獄寺″へと変じさせたばかりか、御所をも焼いてしまった。二カ所を焼いたのだから、名は体をあらわすように、″良観房″ではなく″両火房″だと揶揄やゆされているのである。
 「謗法の聖人」「鎌倉中の上下の師」の仰せのように、彼は、あらゆる人々から聖人と思われながら、その実、大謗法の指導者であった。大聖人は、火災という一現象をとらえられながら、彼の隠れた悪の本質をえぐり出されているのである。
 ゆえに、次に「又一火は現世の国をやきぬる上に日本国の師弟ともに無間地獄に堕ちて阿鼻の炎にもえ候べき先表なり」と御指摘になられている。
 極楽寺の一火が現世の国を焼いたことは、死後、良観もその弟子である日本国の人々も、ともに無間地獄で大苦悩の炎に焼かれる前兆であると。誤れる指導者につけば、現世のみならず、三世にわたって、永遠に苦悩の境涯となってしまうとの仰せである。
17  ″生命の勝利者″の人生を開きゆけ
 最後に「四条金吾殿御返事(法華経兵法事)」の一節を拝しておきたい。金吾が、敵人の襲撃による生命の危難を無事、乗り越えたことを喜ばれた御文である。
 「前前の用心といひ又けなげといひ又法華経の信心つよき故に難なく存命せさせ給い目出たし目出たし」と。
 金吾が生命を守れた理由は、一つには常日ごろの用心であった。二つにはいさぎよい勇気に満ちていた。三つには強盛なる信心があった。ゆえに難を越えて生命を永らえることができたとの仰せである。
18  諸君の将来は長い。これから、自身の決定した一念によって、いくらでも無限に素晴らしき人生を開いていける。何百年、何千年にも匹敵するような価値ある一生を築くこともできる諸君である。
 ゆえに、つまらない事故等で大切な未来を閉ざしてしまうことがあっては絶対にならない。四条金吾への仰せのごとく、強き信心の上に、人一倍、用心すべきは用心し、注意すべきは注意して、無事故の一日一日を重ねていってほしい。
 また、たとえ絶望的に思える出来事があっても、一時の不幸で自棄やけを起こし、人生全体を狂わしていくような弱き青年であってはならない。
 若くして仏法の真髄を持った諸君である。妙法の絶大な力を原動力に、一人残らず、人生と社会の大勝利者になっていただきたい。いな、生命は永遠であるゆえに、一時の幸不幸を超越して、″永遠の生命の勝利者″となっていただきたい。そして広布の歴史に永遠に輝きゆく名指導者として、悔いなき生涯を全うしていただきたい。
 このことを強く念願し、諸君に最大の期待と信頼の心を捧げつつ、本日の記念スピーチとさせていただく。

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