Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第10回芸術部総会 わが胸中の「明鏡」を磨きぬけ

1987.5.10 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

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19  信心の勲章で自分を飾れ
 デカルトの座右の銘の一つは次の言葉であった。これは、ローマの哲学者・作家であったセネカの悲劇『テュエステース』からとった句である。
  「死は重くのしかかる
   万人に余りにも知られ
   おのれには知られずして死する者に」(武田篤司訳、『デカルト著作集3』所収、白水社)と。
 「万人に余りにも知られ」とは有名の人生である。名声を得た人生である。「おのれには知られずして」とは、自分の生命に暗い人といってよい。大聖人は「先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」と仰せである。
 自らの生死の道を解決する法を知らずして、有名の二字に追われる人ほど、死に臨んで苦悩は深い、というのである。
 有名は即幸福とはいえない。むしろ、有名になればなるほど、生死の苦悩はより重く深刻である場合が多い。それではあまりにも不幸である。生死の根本の解決法である妙法を持ち、信心に励める私どもは、本当に幸せ者である。
20  持妙法華問答抄に「願くは「現世安穏・後生善処」の妙法を持つのみこそ只今生の名聞・後世の弄引ごせのろういんなるべけれ」と仰せである。
 ――願うことは「現世は安穏にして後には善処に生まれる」ことのできる妙法を持っていくことのみが、今生の真実の名誉であり、未来永遠にわたる菩提の因となるのである――と。
 人生には、それぞれの道がある。しかし最高の目的は「成仏」であり「現世安穏・後生善処」のあかしを得ることである。永遠なる安心立命と幸福に生きていけることである。それを実現できる根本法こそ妙法である。
 ゆえに妙法を持ち、信心に生きゆく人生こそ、真実の名誉であり、永遠にさん然たる輝きを放つ生命の勲章を持った人生なのである。
 芸術の道とともに信心の道を凛々しく進んでおられる皆さま方である。強く純粋な信心を貫き、真実の″生命の名誉″″生命の勲章″で人生を飾っていただきたい。
 先ほど皆さま方と勤行・唱題し″皆さま方がいつまでもご健勝で、大成功者となられるよう″に、また″退転されないように。たとえ退転しても、再び妙法の世界に帰ってこられるよう″に、深くご祈念をさせていただいた。
 どうか、地道であっても、それぞれの道で、立派な人生の大芸術の実証を示していかれんことを心から念願し、この日のスピーチとしたい。

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