Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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富士宮圏記念幹部会 皆が「桜梅桃李」の使命を

1987.5.8 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

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17  続いて「是れ即ち桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり」と。
 ――桜は桜、梅は梅、桃は桃、すももは李と、一切の生命が、おのおのの当体を改めずして、そのままの姿で無作三身の仏と開見していく。これこそ一切をはかり包含することであり、「量」の義である――。
 法華経は、すべての生命を、あますところなく包みこみ、おのおのが尊極の仏であると説く。草木も国土も無作三身の仏である。人間も無作三身の仏である。この卓越した思想が世界に広まる時、戦争など起こしようがない。人間が殺し合うことなど、ありえないにちがいない。広宣流布を進める重大な意義がここにある。
18  さらに大聖人は「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無作三身の本主なり云云」と仰せになっている。
 御本仏の、まことに、ありがたい御言葉である。広く万法は、みな無作三身である。しかし、別して無作の三身をいえば、久遠元初の自受用身如来すなわち日蓮大聖人即大御本尊以外にない。そして大聖人は、大御本尊を信じ妙法を唱える門下まで無作三身の本主に含めてくださっているのである。
 広布に生きる皆さま方は、尊き仏子であられる。ゆえに、皆さま方をいじめ、苦しめる者は、因果の理法で必ず厳しく裁かれるにちがいない。
19  大切なことは、自身が成長することである。限りなく我が境涯を開きゆくことである。境涯を開いた分だけ、人生に価値が生まれ、勝利が輝く。また法のため、広布のために、我が人生を捧げ、生きぬいた分だけ福運と功徳がついてくる。常に「現当二世」の信心で、朗らかに前に進んでいっていただきたい。
 最後に、「大切な富士宮を、くれぐれもよろしく」と重ねて申し上げ、本日の話としたい。

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