Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「3.16」記念各部代表者勤行会 ″後悔″から″歓喜″の人生へ

1987.3.14 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

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14  意(心)の喜びのところでは「無明」という生命の根本の障りを乗り越えた境涯を教えられている。これは、生命と宇宙の根本の「法」に合致した境涯とも拝される。この「法」にのっとって生きゆく時、真実の自在の境涯となるのである。
 たとえば大空を飛ぶ鳥たちがいる。鳥と鳥とは決して衝突することがない。また大海に舞う魚たちがいる。魚と魚とも決してぶつかることがない。広々とした空と海。そこで鳥と魚たちは自在に生き、動いている。これは本能的に彼らが空と海の道を知り、飛行と遊泳の法則を知っているからに違いない。
 と同じように、生命の内なる「法」に通じ、その法にのっとっていく時、人間同士も決して無益な衝突をすることがない。嫉妬や怨嫉、慢心をはじめ、もろもろの小さな悪感情によって、互いにぶつかり合い、不幸を生んでいくことがなくなる。すなわち、「信」強く題目を唱えゆく時、大空のごとく、大海のごとく、心広々と、互いに尊重しあい、互いに生命の境涯を拡大しあっていける力が涌現していく。ここに「意の喜び」の重要な側面がある。
15  御義口伝には続いて「ここを以て之を思うに此の文は一心三観一念三千我等が即身成仏なり方便の教は泰然に非ず安穏に非ざるなり」と仰せである。
 ――この「身意泰然快得安穏」の経文は、一心三観・一念三千の理法、我ら衆生の即身成仏の法門のことである。これに対して法華経以外の方便の教えは泰然でもなく安穏でもない。決して成仏への道ではない――と結論づけられている。
 成仏という永遠の幸福境涯への道は他の方便の教えにはない。いかなる世界の哲学・学問のなかにもない。また世間の名声や地位のなかにもない。ただ御本尊を強盛に信じ行じゆく一念、広宣流布への強盛なる実践のなかにある。このことを、深くまた深く確信していただきたい。
16  このことに関連して、もう一つの「御義口伝」の一節を拝しておきたい。
 法華経の普門品(観世音菩薩普門品第二十五)に「観音妙智の力 く世間の苦を救う」とある。世間の苦とは次下つぎしもに「生老病死の苦 ってようやことごとく滅せしむ」とあるように、その根本は生老病死の四苦である。
 この「生」「老」「病」「死」という人生の根本の苦悩を、観世音菩薩は、法華経の力によって、次第に、ことごとく滅していくというのである。
 御義口伝にはこの「観音妙智の力」云々の経文について、次のように仰せである。
 「今末法に入つて日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る事は観音の利益より天地雲泥せり」と。
 日蓮大聖人の門下として、題目を唱えぬいていくことは、観音の利益よりも大なること百千万倍であり、天と地、雲と泥の相違があると断じておられる。
 私どもの日々の自行化他の実践こそ、「生死」の苦しみを打開しゆく根本の実践であり、いかに無量無辺の福徳を積んでいるかを確信していただきたい。
 ともあれ、私ども創価学会の実践こそ、仏法の真髄である日蓮大聖人の教えに正しくかなったものである。この明確なる正法正義の道を私どもは勇んで、堂々と進んでいけばよいのである。
 このことを申し上げ、意義ある″3・16″に際しての、私の話としたい。

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