Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全国代表者会議 胸中に赫々たる太陽の輝きを

1987.3.4 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

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5  旭日のごとき生命力で
 東京からロサンゼルスへ向かう機中で、一万メートル上空からの日出にっしゅつを見ることが出来た。それは、大きい、赫々かっかくたる太陽であった。
 地上からの日の出も見たことがある。水平線を昇りゆく日の出を見たこともある。しかし、一万メートル上空からの日の出は、初めてであった。その時の感動は、忘れることが出来ない。機長らも、これだけの日出は初めてだと、話していた。
 その日出に、私は、永遠に消えることのない、大聖人の大境界の、赫々たる光を感ずるような気がしてならなかった。それは、とても言葉では表現できないが、いわば、大黄金の光源から発する力強い輝きであった。とともに、私は、それを光源たらしめる原動力となっている「妙」なる「法」の荘厳さ、そして偉大さを感じとる思いがした。
 御本尊には、大日天という宇宙の働きがしたためられている。皆さま方も、自身の胸中に赫々たる大日天のごとき生命力を輝かせながら、広宣流布への輝く光の一人一人となっていただきたい。
 太陽は水素やヘリウムの原子が集合したガス体である。その太陽の働きも、太陽をつくりあげているこれらの原子が、バラバラであれば強大な力は出ない。いわば異体を同心とした凝結した力こそ太陽のエネルギー源といえるかもしれない。それを、低次元な、役職がどうとか、また怨嫉したり、感情的になったりして、自分自身の心の内に葛藤かっとうをもつのは太陽がバラバラになって力が出ないようなものである。
 その意味からも、広宣流布という目的に向かって、自分自身の信仰という異体を同心とした一念をよくよく深めていただきたい。
6  ″仏法は勝負″である。いかなる勝負においても、決して遠慮があってはならない。また弱気があってはならない。たとえば徒競走においても遠慮があれば勝てない。また、はじめから弱気であれば決して様々な勝負に勝てるはずがない。
 と同じように、信心の世界も遠慮や弱気の行動があってはならない。仏法は勝負であり、また一切は凡夫にとっての試練ともいえる。ゆえに、大御本尊への深き祈りが、どれほど強いかによって、すべてが決まることを銘記したい。

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