Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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アメリカSGI特別研修会 深き根あれば広布の花は万朶と

1987.2.12 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

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11  歴史上においても、今日の現実の世界においても「死」という厳粛な姿は、変わらない。この、避けることのできない「死」という根本課題を解決していかない限り、真実の幸福はありえないであろう。
 つまり真実の『安穏』の死という最終章であったか、それとも苦悩の幕切れであったのか――。
 「妙心尼御前御返事」には「ただいまに霊山にまいらせ給いなば・日いでて十方をみるが・ごとくうれしく、とくにぬるものかなと・うちよろこび給い候はんずらん」と。
 この御文を拝すると、成仏の一つの次元である、安楽の死の姿について″太陽が出て、十方を照らしているがごとくうれしくてたまらない″と仰せになっている。これが「生死不二」であり、永遠の生命につながる幸福境涯の次元に冥合せんとする、信心と人生の決着なのである。
 ゆえに退転してはならない。どんな苦難があっても信心を貫き通すべきであるとつねづね申し上げるのである。
 また、死して、悲しき暗闇の中に入るのではない。御本尊への「信」を貫き通した人は晴れ晴れとした十方の世界を見下ろすような境涯となる。御聖訓の通り″よくぞ早く死にぬるものか″と、喜びでいっぱいの死である。さらには、歓喜きわまりない感動の「死」なのである。
 つまり、生きていても、「常」「楽」「我」「浄」の次元の人生であり、死してもまた「常」「楽」「我」「浄」の宇宙の次元、仏界の次元に冥合していくのである。
 ゆえに私は、この御文を拝するたびに、仏法の深淵しんえんさ、壮大さ、厳粛さを感じてならない。
 諸君は若くして、仏法をたもった。実に素晴らしいことである。
 仏法をたもったがゆえに、多々苦労はあるにちがいない。しかし、信心の上の苦労はすべて、いうなれば、生命の中の無量の貯金をしているようなものである。その貯金は、大事な時に必ず使われていく。ゆえに信心の年輪を刻んでいけば、長い人生にあって、いくつかの苦境に遭遇しても、必ずやその貯金を出して、すべてを乗り切っていけるのである。
 したがって、若い時ほど、信心に励み、この目に見えない福徳の貯金をしておかねばならない。自分自身の福徳と永遠なる幸福の貯金のために、絶対に退転してはならない。
 また、仏子を誹謗ひぼうしてはならない。それは、太陽に向かいゆく光の一念を、暗闇の中に入っていく一念へとかえていくようなものである。仏法の法則、宇宙の法則に立った微妙な一念の差なのである。
12  世界一有名なスピーチは古代のある政治家の三分間の演説であった。時間の都合もあり、短時間であるが、本日の研修をこれで終わらせていただく。(第五回特別研修会 二月十七日)

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