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日蓮大聖人・池田大作

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「1.15」記念各部代表者合同研修会 新しい人類文明の夜明け

1987.1.15 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

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32  生命の進歩の道、完成の道を
 ここで少々長い引用になるが、私が好んで読んだ魯迅の「随感録」のなかから「生命の道」の一節を紹介したい。
 「自然が人間に賦与した不調和は、かなり多い。人間のほうでも、萎縮し、堕落し、退歩したものが相当ある。しかし、生命は、そのために後もどりはしない。いかなる暗黒が思想の流れをせきとめようとも、いかなる悲惨が社会に襲いかかろうとも、いかなる罪悪が人道をけがそうとも、完全を求めてやまない人類の潜在力は、それらの障害物を踏みこえて前進せずにいない」(『魯迅文集 第三巻』竹内好訳、筑摩書房)と。
 「完全を求めてやまない……」との部分は、私どものめざす広宣流布の活動にも通ずるものだ。
 すべては「前進」である。たとえ、前進の途上に障害物があったとしても、″障害物があるからこそ楽しい″との気概で邁進していかねばならない。
33  思い起こせば、私も若き日に、C級支部といわれ、弘教の勢いも全然あがらなかった文京支部で、戸田先生の命により支部長代理として指揮をとった。そのときの合言葉が「前進」であった。
 ″この支部が前進しなければ、学会全体が前進しない″との確信に立ち、それこそ歌を口ずさむ思いで生き生きと戦った。その結果、見事に全国一位の成果を収めることができ、以来、文京支部は輝く歴史を刻んでいくことになった。文京支部での戦いに限らず、私はどの地を担当しても、この「前進」の気概で広布の指揮をとってきた。
34  また先の引用に続く次の部分も、たいへん感銘深いものだ。「道とは何か。それは、道のなかったところに踏み作られたものだ。荊棘いばらばかりのところに開拓してできたものだ。
 むかしから、道はあった。将来も、永久にあるだろう。
 人類は寂しいはずがない。なぜなら、生命は進歩的であり、楽天的であるから」と。
 私どもは、広宣流布という未聞の大道をつくっている。全人類のために、妙法の正道を開き、永遠に崩れざる幸福の王道を築いている。それは、人類史上初めての、を浴びる大偉業といってよい。
 皆さま方は、その未聞の労作業にたずさわる、若き勇者である。これほど光輝に満ちた尊い作業はない。その自覚と誇りをもって、悔いなき青春の日々を生きていただきたいと申し上げ、本日の私の話とさせていただく。

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