Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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大学会・豊島区合同研修会 信心と人格光る後継者に

1986.12.7 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

前後
27  次に、修利槃特の出家のいきさつについては、こう説かれている。
 兄の摩訶槃特は、生まれつき非常に賢く、釈尊の教えを聞き、祖父の許しを得て出家した。熱心に修行して阿羅漢の悟りを開くことができたので、摩訶槃特は自分の得た楽しみを弟にも分けてやりたいと思った。そして、祖父の許しを得て、弟の修利槃特を出家させたのである。
 ところが、弟の修利槃特は兄から教えられた短いお経を四カ月かかっても暗唱することができないほど、たいへんな愚鈍であった。
 この修利槃特が生まれつき愚かな理由については、次のようにある。
 彼は前世において非常に賢かった彼が、仏のもとで出家したとき、お経を暗唱できないでいる他の愚かな弟子たちをあざけり笑った。今の世で愚鈍の人となったのはその報いである――と。
 これは、経典の説話であるが、生命の厳しき因果のうえからも、信心の世界においては、同志を侮辱ぶじょくしたり、あざけるようなことは、絶対にあってはならない。
 仏法を信受した人を軽蔑し侮辱すれば、結局は自分自身の心を侮辱し、我が身を破壊するようなものである。始めは事なきようにみえても、最後は、坂をころがり落ちるように、自らの功徳を消し、三悪道・四悪趣の道に入ってしまうのである。
28  また、修利槃特は、三年かかっても経文の一偈も覚えることができなかった。一方、提婆達多は、六万法蔵をそらんじたといわれる秀才であった。今でいえば、小学生と大学院を最優秀で卒業した人と対比できるかもしれない。しかし、修利槃特は、愚直の信心で成仏の境涯を得た。提婆は、仏弟子となりながら、釈尊に師敵対し、地獄へと堕ちている。
 仏法の因果律は、厳しい。学問を身につけ、優秀であればあるほど、謙虚な信心が大切であると申し上げておきたい。
 広布の、一切の未来を担いゆく、若き俊英の諸君である。どこまでも、信心を深め、自身を磨きながら、広宣流布と創価学会の立派な後継者と育ちゆかれんことを心より祈り、念願して、本日の話とさせていただく。

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