Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全国総県長会議 「対話」の大道を世界へ

2001.12.14 メッセージ集(池田大作全集第67巻)

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4  因果の法、仏法の勝負はは厳然と
 日蓮大聖人は、有名な佐渡御書の中で、「日蓮を信ずるようであった者どもが、日蓮がこのような大難(佐渡流罪)にあうと、疑いを起こして法華経を捨てるだけでなく、かえって日蓮を教訓して、自分のほうが賢いと思っている。このような、よこしまな者どもが、念仏者よりも長く阿鼻地獄に堕ちたままになることは、不便としか言いようがない」(御書960㌻、通解)と仰せになっている。
 大聖人が、幕府によって、佐渡に流されると、門下の多くは、自分が難にあうことを恐れて、信心を捨てた。それどころか、かえって、大恩ある師匠の大聖人を誹謗し、攻撃した者も出たのである。
 そうした悪口の一つが、「日蓮さんは私たちの師匠ではあられるが、あまりにも剛直である(妥協がない)。私たちは(師匠と違って)柔らかに法華経を弘めましょう」(御書961㌻、通解)というものであった。
 しかし、それは、世間に迎合し、難から逃れるための、こざかしい口実にすぎなかった。いかに退転と反逆を正当化しようとも、因果の法の厳しい裁きを、ごまかすことは、絶対にできない。
 この佐渡御書に示された姿は、現在にも、そのまま当てはまる。
 牧口先生の時代にも、「牧口先生は厳しすぎる。もっと柔らかに弘教すべきではないか。そのほうが弘教が進むはずだ」といった批判が起きた。
 しかし「牧口先生は、『大聖人が、佐渡御書で仰せになっている通りではないか』と大笑いされていたよ」と戸田先生が、よく話されていた。
 第2次世界大戦中、学会が弾圧され、牧口先生、戸田先生が逮捕された時も同じであった。
 投獄された幹部は、退転して釈放された。また、難を恐れた幹部たちが、牧口先生、戸田先生に対して、「だまされた」等と罵倒し、会員を退転させ、学会は壊滅状態になった。
 しかし、その時に退転し、反逆した者たちは、妙法に厳しく裁かれた。戸田先生は、よく、「退転者は、不思議とその堕地獄の姿を見せにくるものだ」と語っておられた。
 この方程式は、今日もまた同じである。陰険な反逆者たちは、悪侶とともに、あらゆる策略、讒言を巡らして、私を陥れ、倒そうとした。
 しかし、そうした卑劣な陰謀は、すべて破綻し、失敗した。妙法の上からも、国法の上からも、正邪は明確に裁かれ、仏法の勝負は、ことごとく、峻厳なまでに決着はついている。
5  青年が「拡大」の突破口を
 昨日は、大勝利の喜びあふれる東京総会、そして四国総会でもあった。
 今日の広宣流布の拡大は、半世紀前、昭和27年の2月、私が東京の蒲田で突破口を開いた。弱冠24歳の青年部であった。
 この「伝統の2月」の折伏が波動となり、翌年、四国初の学会員が、高知に誕生した。所属は、私が指揮をとる蒲田支部の矢口地区であった。これが四国広宣流布の源流となった。
 あの「2月闘争」から50年――。
 広宣流布の本陣・東京の青年部の諸君! さらにまた、「紅の歌」の誉れも高き四国の青年部の諸君! そして、全国の青年部の諸君!
 いよいよ、君たちが、断固として立ち上がり、平和と人道の大連帯を堂々と築いてくれたまえ!
 次は、君たち青年が「勝つ世紀」であるからだ!
 戸田先生は詠まれた。
  一度は
    死する命ぞ
      恐れずに
    仏の敵を
      一人あますな
 この破邪顕正の学会精神をば、絶対に忘れてはならない。
 お帰りになられましたら、各県、各地の偉大なる広宣流布の同志に、くれぐれも、よろしくお伝えください。
 時代全体が揺れ動いているゆえに、一番大切な尊き同志を、どうか、心から励まし、厳として守っていただきたい。
 お体を大切に! よいお年を、お迎えください。
 (創価文化会館)

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