Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全国総県長会議 新しき「七つの鐘」を打ち鳴らせ

2001.4.26 メッセージ集(池田大作全集第67巻)

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11  「七つの鐘」とともに使命の道を
 先日、インドの女子部のメンバーが、自分自身の「七つの鐘」の目標を手紙で報告してくださった。本人のご了解をいただき、感謝の思いを込めて紹介させていただく。
 彼女はインドの名門の出身で、妹と一緒に創価大学に留学された。
 母国に帰って、『教育の価値創造者たち――マキグチとガンジー』という研究書を出版。それを「創立者に捧げます」と送り届けてくださったことも忘れられない。現在は、ロンドンで教育学の博士課程の研究を進めておられる最優秀の女性である。
 彼女は、二〇〇八年までの「第一の鐘」で、自分自身の博士課程の修了とともに、「原水爆の禁止」を目指す。
 二〇一五年までの「第二の鐘」で、インドの女子学生部の強い基礎を築く。インドに「創価の教育者」を訓練する大学をつくる。
 そして、二〇四三年の「第六の鐘」までには、インドを創価教育の模範の天地にしたい。世界中に創価教育を実践する学園・大学を広げたい。
 さらに、二〇五〇年までの「第七の鐘」では、自分が育てた学生たちの成長と幸福を見守りながら、わが人生を総括し、次の「七つの鐘」を目指して新しい計画を立てていく――このように手紙には、つづられていた。
 仏教発祥の地から馳せ参じてくださった、一人の創大留学生の乙女が、どれほど素晴らしい「人間教育の鐘」を打ち鳴らしてくれることか。その心が尊い。
 私たち夫婦は、うれしかった。彼女の決意の手紙を御宝前にあげ、題目を送らせていただいた。
 どうか、皆さま方も、「七つの鐘」とともに、自分自身の目標、わが使命の地域の目標を大きく掲げながら、大いなる境涯を開き、大いなる福徳を積み、大いなる歴史を残していただきたい。
 日蓮大聖人が、流罪の地・佐渡で「観心本尊抄」を著されたのは、一二七三年の四月二十五日である。(文永十年)
 日寛上人は観心本尊抄文段で仰せである。
 「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」「唯仏力・法力を仰ぎ、応に信力・行力を励むべし。一生空しく過して万劫悔ゆることなかれ」(文段集548㌻)
 妙法を唱える自分自身の生命が、そのまま、御本尊であり、日蓮大聖人なのである。ゆえに、何も恐れるものはない。絶対に負けるわけがない。わが生命それ自体が、究極の「希望の鐘」なのである。
 妙法を唱える生命の波動は、人々へ、地域へと、すべてにつながり、広がっていく。自分自身の幸福をつくり、わが地域の繁栄をつくり、皆が仲良く友情を結びながら、地球全体に平和のスクラムを広げていけるのである。
 そのためにも、まず、新たな「七つの鐘」の第一打の本年を、楽しく、愉快に、断固たる大勝利で飾ってまいりたい。
12  釈尊の弟子たちはあの地この地へ「対話の旅」
 釈尊と弟子たちは、民衆のために、広大なインド亜大陸を歩んで歩んで歩み続けた。その模様について、私はインドの大哲学者ロケッシュ・チャンドラ博士(インド文化国際アカデミー理事長)とも語り合った。(=対談は『東洋の哲学を語る』と題し、2002年10月、第三文明社から発刊)
 たとえば、釈尊が最初に法を説き始めたサールナートにある「鹿野苑」は、生涯にわたる民衆救済の旅の、ほぼ中間に当たる都市である。そこを起点にすると、釈尊が、何度も何度も足を運んだ舎衛国へは二百数十キロ。マガダ国の王舎城へは約三百キロ。カンマーサダンマという地方へは七百キロ以上もある。(ほぼ東京―岡山間の距離)
 そうした道のりを、釈尊は、だれよりも勇んで歩み抜いていったのである。
 仏典には、こんな話がある。大勢いるはずの釈尊の弟子たちの姿が見えない。不審に思った、ある神が言った。
 「みごとに話し、学識ゆたかな、ゴータマ(=釈尊)のあの弟子たちは、どこへ行ったのでしょうか」
 別の神が答えた。「或る者どもはマガダ国へ行き、或る者どもはコーサラ国へ行き、また或る者どもはヴァッジ族の地に行きました」(『ブッダ 悪魔との対話』中村元訳、岩波文庫)と。
 記録によれば、釈尊の一人の女性の弟子は、布教のため、実に五十数年間にもわたって、当時のアンガ、マガダ、ヴァッジ、カーシーなどの国々を歴訪したという。
 光栄にも、チャンドラ博士は、こう言われる。釈尊と弟子たちの歩みを現代に受け継いで、世界的規模で行動しているのが創価学会である。仏教の慈悲のヒューマニズムを世界に伝えているのがSGIである――と。
 法のため、人のための現実の行動がなくなってしまえば、もはや、その宗教・哲学は滅び去っていくのみである。
 今、各地の誉れのわが同志は、二〇〇一年の五月三日を、生き生きと動き、語り、戦うなかで迎えようとしておられる。これこそ、創価学会が二十一世紀の世界宗教として、さらに隆々と発展しゆく瑞相である。
 どうか、各方面・各県・各区の全同志に、くれぐれも、よろしくお伝えください。
 私は、病床にある各地の愛する同志の方々に対しても、お一人お一人に題目を送り、平癒とご長寿を、毎朝毎晩、真剣に祈っております。
 我らの栄光の月・五月を、朗らかに戦い、勝利して、また元気にお会いしましょう!
 (創価文化会館)

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