Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二回全国女子部幹部会 大目的に生きる それが太陽の青春

1997.2.10 メッセージ集(池田大作全集第67巻)

前後
3  父は娘に願った「誓願の人生」を
 ところで、父ネルー首相と娘インディラ女史には、こんな美しいエピソードがある。
 それは、一九四二年、インディラ女史が結婚する時のこと。結婚式で、彼女は、清らかに、また凛々く、誓いの言葉を述べた。まことに荘厳な場面であった。じつは、その言葉のなかには、父が筆を加えた文章があった。
 それは、「この地球上の至る所に、たとえ誰であれ、我々の自由を奪おうとする者がいるならば、心して聞くがいい! 私は、剣を手に、最後まで戦う覚悟ができている! 私は、祈る! 自由の光が広がりゆくことを。そして、その光が、我々を遍く包まんことを」(Zareer Masani, indira Gandhi : A Biography, Hamish Hamilton.)と。
 新たな人生を始める愛娘に、父ネルーが望んだもの――それは、”安穏な生活”でもなければ、”自分だけの幸福”でもなかった。
 そんなちっぽけなものに、とらわれではならない! 自分の殻に閉じこもってはならない! 眼をを大いなる地球に向けよ! すべての民衆の自由のために戦え! 権力の魔性と最後まで戦いぬけ! 人生の喜びは、大目的に身を捧げることである!
 ――これが、偉大なる父の心であった。誓願に生きる人生は尊い。
4  私ども夫婦も、今年で結婚四十五年を迎える。
 実質の仲人である戸田先生は、私どもの結婚にさいし、「広宣流布という無血の大革命のために、生きて生きて生ききれ!」と、峻厳など指導をくださった。
 ところで、インデイラ女史が結婚式でまとったピンクのサリー(インドの伝統衣装)は、父ネルーが獄中で紡いだ綿糸からつくったものであった。そして、そのサリーは、インディラ首相の子息であるラジブガンジー首相の結婚式の折にも、ソニア夫人が身につけている。
 ネルー首相の人類愛の精神は、娘のインディラ首相に、さらに孫のラジプ首相夫妻に、厳然と受け継がれていったのである。そして、それは今、ラジブ首相夫妻の若き令息のラフルさんと、美しき令嬢のプリヤンカさんの兄妹の心に、明々と燃えている。
5  確かな自分自身を築け
 かつて、ラフルさんが学校を卒業した時、「旅行に行きたい」と父君であるラジプ首相に話した。
 その時、こう言われたという。
 「一人で、ヒマラヤの山に登ってきなさい!」と。
 これもまた、父の厳愛である。周りから喝采され、甘やかされるなかでは、人は成長しない。断じて、苦労を避けないことである。むしろ、みずから苦労を求めゆくことである。人生、最後は苦労した人が勝つ。長い人生である。何も焦ることはない。じっくりと確かな自分自身を築いていくことである。
 いわんや妙法を持つ皆さま方は、何があろうと、一切を一番いい方向へ、もっていくことができる。この大確信で進んでいただきたい。
 ともあれ、私どもが目指してきた「二十一世紀の広布の山」への登攀も、いよいよ本格的な段階に入った。とくに、この一年が重要である。「広布の山」を登りつめていくための、勢いがあるかどうか。知恵があるかどうか。粘りがあるかどうか。それが大切である。
 御聖訓には「賢きを人と云いはかなきを畜といふ」と仰せである。
 流行や虚像に目を奪われて、右往左往する生き方は、浅はかである。目先のことばかりにとらわれて、あれこれと揺れ動く人生は、愚かである。自分自身の胸中に、つねに「充実」という心の宮殿が輝いている――そんな、はつらつたる皆さま方であっていただきたい。
6  戸田先生は、「信心に立てば、自分の知識では割り切ることができないものを、割り切っていくことができる」と言われた。”自分はこう生きる”と決めて、強く、また強く、生きぬいていくことである。これが信心であり、哲学をもった人である。
 娘は「太陽」である。娘が一人、明るく光り輝けば、一家全体が照らされる。ゆえに何があろうと、自分自身が輝くことである。
 信仰とは、深き自覚である。
 信仰とは、揺るがぬ確信である。
 信仰とは、豊かな人格である。
 信仰とは、強き責任である。
 結びに、この長い大切な青春を、人生を、女子部長を中心に皆で励ましあい、お互いに信頼しあい、尊敬しあいながら、悠々たるスクラムで、大いなる「二十一世紀の山」へ、一人ももれなく登り切れ! と申し上げ、私のメッセージとします。
 皆さまに健康あれ! 英知あれ! 勇気あれ! 勝利あれ! そして、幸福あれ!――と深く祈りつつ。
 (東京戸田記念講堂)

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