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日蓮大聖人・池田大作

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「健康」は万人の願い  

「健康対話」(池田大作全集第66巻)

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6  「病気上手の死にべた」
 池田 次に「病気」と「死」について、戸田先生は「病気上手の死にべた」という俗諺ぞくげんに真理があると言われていた。病気の問屋のような人でも、不思議に長生きしている人もいるというのです。
 豊福 たしかに、そういう人はいます。反対に、健康そうに見えても、急性の病気や不慮の事故などで「死」に襲われる人がいる。またみずから「死」を求める気持ちになる人もいます。
 池田 「病気」は必ずしも「死」にはつながらない。御書に「病によりて道心はをこり候なり」と仰せである。一日でも長生きすれは、そのぶん、永遠の福徳を生命に貯金できる。そのぶん、仏法を守ることもできる。私がこの語らいを始めたのも、根本の思いは、今まで苦労してきた友に「だれよりも健康であってもらいたい」「少しでも長生きしてもらいたい」ということなのです。
 森田 ヒルテイ(スイスの哲学者)だったでしょうか、「病気が心を耕して、深く、大きくしてくれる」と言っています。
 (「河の氾濫が土を掘って田畑を耕すように、病気はすべて人の心を掘って耕してくれます。病気を正しく理解してこれに耐える人は、深く、強く、大きくなり、それまで理解できなかった識見や信念を体得するにいたります」〔「不幸における幸福」岸田晩節約、『ヒルティ著作集』7所収、白水社〕)
 池田 病気と闘うからこそ、人生の裏表もわかるし、不屈の精神力も鍛えられるのです。私自身も幼いころから病弱だった。結核のせいもあって、医師から、三十歳まで生きられるかどうか、と言われた体です。しかし、だからこそ病弱な人の心もわかるようになった。だからこそ、一瞬一瞬を大切に生きよう、片時もむだにせず、生あるうちになすべきことをなそう、と完全燃焼で生きてこられたのです。
7  「生も健康」「死も健康」と――仏法は「三世の健康的生命」を説く
 豊福 とくに信仰者にとっては、「病気」こそ「心の健康」の源泉であるとさえ言えるかもしれませんね。
 池田 そう。体が健康でも生命が病んでいる人は、たくさんいる。体が病気でも、生命それ自体は健康である人もいます。また、生きているかぎり、何らかの病気はあるでしょう。だから、どう病気と上手につきあうか、という智慧が大事なのです。少々、論理が飛躍した言い方になるけれども、「仏法の眼」から見れば、「健康と病気」は「健病不二」である。「生と死」も「生死不二」である。こう結論できる。
 したがって、仏法の健康論は、今世にとどまらず、「三世にわたる健康的生命」を論じます。
 たとえ、いったんは「死」の状態に入っても、生命自体は安穏なる境涯であり、ただちに新たなる使命の庭を見いだして生まれ出るのです。三世にわたって、「永遠なる健康的生命」の輝きを放つのです。その意味で、究極は「生も健康」「死も健康」なのです。

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