Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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将来について  

「希望対話」(池田大作全集第65巻)

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3  問3 自分の″天分″はどうすれば見つかるのか
 僕は、将来、何になるのが自分に適しているかわかりません。よく、人それぞれに″天分″があると言われますが、それを見いだすには、どうすればよいのでしょうか。
 自分が何に適しているかを見極めるのは、簡単なことではありません。幼い時から、自分はこれに適していると自覚して、その方面に特別な才能を発揮する人もなかにはいますが、それはむしろ例外的なことといえるのではないでしょうか。
 多くの人は、高校に進学し、大学の進学を決める時や、あるいは社会に出て、どういう職業につくかという時に、自分の道を決めるようです。しかし、その場合でも、はっきりと自分の適性を見いだしているかというと、決してそうとは言いきれない。ある時には″何となく、こちらに向いていそうだ″という、漠然とした気持ちで決めている場合も、少なくはないでしょう。
 ですから、社会に出て、成功した人の例を見てみると、実際には、大学や高校時代に専攻していた道と、まったく畑違いの場で活躍している人も多いのです。私は、高校や大学では、もっぱら理科系の勉強をした人が、詩人になり、あるいは評論家として名を成している例も、知っています。
 このようなことがどうして起こるかというと、これは、自分の″天分″をどうすれば見いだせるかという問題と関係してくることですが、結局、人それぞれに、その人らしい持ち味と才能、個性はあっても、それは自分ではなかなか発見できないものなのです。しかし、ある機会に接すると、急速に自覚できる場合がある。たとえば、それまでは不得意であった科日でも、好きな先生がいて、非常におもしろく授業をしてくれるので、自然と、その不得意科目に興味をいだくようになり、最後には、その方面に関係する仕事をしたいと思うようになるといったケースは、よくあります。
 また、その機会が、先生でなくても、一冊の本であったり、友だちとの討論であったりする場合もあるでしょう。そういう機会を通して、眠っていた天分を見いだし、自分の道を決めるようになることもあるのです。
 君は、まだ、その段階に達していないわけですが、中学時代の現在で、進むべき方向と適性がわからないからといって、あせることはありません。今は、学校で習う、いろいろな科目や実習を、しっかり吸収していくことが大事だと思います。
 とくに、中学時代で教わるものは、そのまま実社会に出た時にも、社会人として、十分に通じる基礎ばかりです。その基礎を完全にマスターしていれば、大学を卒業しても、なまはんかに勉強していた人と比べると、はるかに優れた力をもつことができるとも言われています。
 ただ、自分の適性はわかりにくいといっても、人には、何らかの興味や関心をもつことがあるはずです。そこに、その人の天分や適性があるとは、必ずしもいえないにしても、そうした興味や関心のあることがらは、それに通じる面が多いのも事実です。
 したがって、学校の勉強とともに、君が、日ごろ、好奇心や興味をもつ問題については、自分自身で積極的に取り組み、それをはぐくんでいくべきです。そうして青年時代において″これだけはだれにも負けない″と誇れるものを、何か一つでいいからもつことです。それをもっている人は強い。たとえ、仕事や職業が、自分の関心とは違うものであったとしても、それをもっている人は、実際の社会の場で生かせるものです。また、それがあれば、社会にあって、必ず、価値ある人だと尊敬されるものです。
4  問4 世界平和を実現する職業は政治が一番?
 私は、将来、自分の好きな音楽の道で、世界平和に貢献できる一員になりたいと思っていますが、現実に平和な社会をつくろうと思えば、政治が一番、身近なように思われます。この点、どのように考えていけばよいでしょうか。
 戦争のない、平和な世界をつくることは、決して、政治家だけでできることではありません。社会の、あらゆる階層の人たちが、それぞれの職業や立場の違いを超えて、幅広いスクラムを組み、戦争を起こそうとする勢力や動きと、どこまでも戦って、平和を守っていくことが大切です。
 たしかに、戦争と平和ということについては、政治が、直接影響を及ぼす問題であり、政治に反映されなければ、現実に、戦争の危機を回避することができない面もあります。
 しかし、政治の方向を最終的に決定するのは民衆です。民衆一人一人が、信念をもち、戦争から人間を守るという自覚をもって、政治の姿勢、方向を厳しく監視していけばよいのです。ですから、政治家にならなければ、世界平和に貢献できないなどというようなことは、絶対ありません。好きな音楽の道でも、十分、平和に貢献できるのです。
 いな、音楽などの文化活動こそ、実質的に平和な社会をつくりだしていく基本なのです。いいかえると、平和のための国際的、社会的条件をつくりだしていくのは、政治家の仕事であるかもしれませんが、平和そのものの内容をつくりだしていくのは文化です。
 文化とは、人間の内面、精神、心に充実を与えていく活動です。それは、権力などの立ち入ることのできない分野であり、また絶対に権力が干渉してはならない分野です。音楽や芸術、詩、小説などを通して、人々に生きる希望を与え、生命の充実感、幸福感を与えるのが文化の本質です。
 音楽は、そうしたもののなかでも、最も広く、人間の心に潤いを与える分野です。ショパンの曲を聴けば、人々は青春の日の思い出を懐かしみ、ベートーヴェンの「運命」を鑑賞すると、不死鳥のような勇気をもって、また明日の生活への意欲がわいてくるというように、音楽は、国境、民族、イデオロギーを超えて、人間が人間らしい感情をもって進むことのできる、貴重な共通語です。
 したがって、立派な音楽家になり、世界の人々に、音楽を通して生命の歓喜を与えれば、それ自体で、世界平和に大きく貢献しているのです。それは、政治家が、平和のために奔走するより、もっと根本的で曹験的なものといえましょう。
 戦争は、このような、人間の、すぐれた文化活動を破壊する最大の悪です。戦争と文化とは、まったく正反対の関係にあります。
 もちろん戦争文化というものもありますが、人々を、いたずらに好戦的に仕立てるとか、士気を鼓舞するものでしかない場合が多い。ほとんどといってよいほど、戦争のもとにあっては、生き生きした文化が途絶えてしまうものです。
 ということは、逆にいえば、自由な創作活動や、生き生きした文化活動を展開することは、人々に、生命の充実を与えるだけでなく、それを阻もうとする戦争そのものを否定する、精神の大地をつくっていることでもあるのです。人々は、文化を通して政治や社会の動向を平和に導くよう、監視していくことができるのです。
 そういうことからしても、私は、あなたに立派な大音楽家になってもらいたい。人々が、あなたの音楽に接して、平和の尊さ、人間の尊厳に、あらためて襟を正し、それが、戦争否定の気運を高める導火線になっていけば、世界平和のうえで、あなたは、大きな貢献をしたことになるのです。

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