Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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性格について  

「希望対話」(池田大作全集第65巻)

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3  問3 短気ですぐにカツとなってしまう
 僕はどうも短気ですぐカッとなってしまいます。そしていつもあとで後悔するのです。こんな性格はどうすれば直すことができるでしょうか。
 性格というものは、根本的には変わらないものだと思います。というと、それでは短気は直らないのか、と言われそうですが――。
 そうではなく、性格には二面性があると思うのです。短気を例にとって考えると、短気自体はよい性格とはいえなくても、その反面、短気な人は決断力がある。行動がすばやいといった美点をもっているものです。いわば、ある性格があって、悪い面があらわれたときに短気といい、よい面があらわれた場合に決断力、行動力というのではないでしょうか。
 つまり、性格というのは川の流れのようなもので、川の幅は変わらないように、性格の本質自体は変わらない。が、川の流れにも清流と濁流がある。短気というのは濁流であって、それが清流になれば、決断力、行動力の美点が表にあらわれる――。それは、前の質問(「性格について」の章、問1、問2参昭)にあつた神経質や消極的という問題にもいえると思うのです。
 それでは短気という濁流はどうすれば清流に変えられるのか。自分の立場だけでなく、相手の立場に立ってものを考える習慣をつけることが、まず大事でしょう。なかなかむずかしいことですが、すぐカッとなるのは、ものごとを自分本位に考える人に多いようですから、意識して自分の心を抑えるようにすることです。
 よく、相手を非難する手紙は、書いてから一日置いてポストに入れるとよいといわれます。それは、そうした手紙は、おうおうにして感情に流されたものになりやすいため、冷静になってから読み直してみると、言いすぎた点があったりして、そのまま出すとかえって逆効果になるからです。
 これはむずかしい言葉でいえば理性ということですが、理性があるということが、人間と動物の大きな違いなのです。怒るべきときに怒るのは当然ですが、何かあるとすぐ怒るのでは、動物とあまり違いがなくなってしまいます。君も言っているように、結局はあとで後悔するのがオチなのです。
 そういう人は、たとえ正しい怒りであってもみんなの共感を呼ぶことはできません。感情的な怒りは、それが正義感に基づいたものであっても、第三者から見れば一人相撲をとっているように映るものです。「短気は損気」とも言われますが、まさしく大損であり、当然、みんなに応援してもらえることであっても、そっぽを向かれる結果になってしまいます。
 人間はたしかに感情の動物です。感情のない人などいるはずがないし、もしいるとすれば死んでいるのも同然といえましょう。
 また、大いなる感情は、大勢の人の心を動かします。正義感あふれる大演説が聴衆を覚醒させ、社会を改革した例は歴史上、数多くあります。
 ですから、感情というのは非常に大切ですし、決して悪いものではないのですが、むきだしの感情ではなく、理性に裏づけられた感情でなければならないのです。演説の例でいえば、胸の中に正義感をたぎらせつつも、それをどうみんなに訴えていくかといえば、そこに論理的、客観的な主張があって初めて聞く人の共鳴を得ることができるのです。それが理性であり、相手の身になって考えるということでもあります。
 人にはそれぞれ、さまざまな個性、意見があります。なかには、どうもハダがあわないという人もいるにちがいありません。しかし、だからといって、すぐカッとなっていたのでは、多数の人々によって成なり立っているこの社会で、生きていくことはできません。自分とは違う意見をもっている人の存在を認めてこそ、社会の一員としての資格があるのです。
 子どものころはどうしても自分本位になりがちであり、感情が先行します。しかし、君ももうすぐ大人になるのですから、理性で判断し、行動することを心がけていくべきだと思うのです。
 私は、理性が至上のものだというのではありません。理性を重んじすぎて、別の新しい弊害が起きていることも知っています。ただ、その問題は非常にむずかしくなるので、別の機会にお話しすることにして、理性の重要性を今は知ってほしいと思います。
4  問4 目標を決めても長続きしない
 目標を決め、計画を立てても、最初のうちは実行できるのですが長続きしません。どうしたら長続きできるでしょうか。
 意志を強くしなさい、といっても一朝一夕にはできないことですが、たとえ長続きしなくても、計画がくずれたら、また新しい計画を立てて進んでいけばよいのです。途中で挫折することはだれにもあることですから、それ自体はむしろ当たり前のことなのです。大事なのはそのあとどうするかです。もうダメなんだとへこたれないで、新たな勇気を奮い起こして挑戦するのです。
 計画が長続きしないといっても、意志が弱いといっても、それができればしめたものです。たとえ途中でくずれても、そのたびに立ち上がっていけば、それは長続きしないのではなく、長続きしているのと同じといえます。
 それができる人は、途中で挫折するから意志が弱いのではなく、それに負けないで立ち上がれるのですから、すでに意志の強い人といえるのです。
 ですから、鍵は、途中でくずれたらまたやり直す、その根気強い繰り返しにあるといえましょう。そのうちに″三日坊主″だったのが一週間続くようになり、十日間、一カ月間と、だんだん長続きするようになっていくものです。
 ただし、無理な計画を立てれば長続きしないのは当然ですから、目標の決め方、計画の立て方を工夫する必要はあるでしょう。どんなに立派な計画であっても、実行できないものであれば意味がない。たとえば、どれほど壮大なビルディングの設計図を描いたとしても、建築費がなかったり、建築技術がそこまで到達していなければ、その設計図は何の役にも立ちません。実行できない計画もそれと同じです。
 したがって、目標や計画は、少しがんばれば達成できる程度のものにすべきです。限界にいどむ意欲は尊いとしても、それではいつかは息切れしてしまうものですし、まして能力を超えるものであれば、最初の一日や二日は何とか実行できても、長く続くはずがありません。
 目標を定め、計画を立てる時は、だれでも張りきっているものです。ところが、そうした時の精神状態は、いわば特殊であり、ふだんとは違うのです。張りきっている時は、少しぐらい無理なことでもやってしまうものですが、ふつうの時はそうはいかない。それなのに、張りきっている時の自分を基準にして計画を立てたらどうなるでしょうか。
 長続きしない人の計画は、だいたいそういった無理なものであることが多いようです。勉強なら勉強で、ふだんあまりやっていないために、いったん決意すると、どうしても欲張った計画を立てるのでしょうが、そうした計画はまず100パーセント失敗すると断言したい。
 「よし、やるぞ!」という決意は決意として、実際の計画は決して無理をしないというのが上手な計画の立て方なのです。
 そして、それが確実に実行できたら、少しずつ厳しい計画に変えていけばよいのです。それなら、途中で挫折することもなく、自信もますますついていくでしょう。
 ともかく、計画性ということは何事であれ大切なことです。多少の失敗にこりず、勇気をだして、また新たな計画のもとに進んでください。

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