Nichiren・Ikeda
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コンプレツクスはだれにもある
「希望対話」(池田大作全集第65巻)
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6 悩んだ分だけ人の心がわかる人間に
「劣等感のある人間のほうが強い」
池田 そう。勝てば、コンプレックスは、あなたが強く生きていく力となる。すべてのコンプレックスが、あなたの力となる。
コンプレックスで悩んだ分だけ、いじめられた分だけ、心のヒダは深くなる。心の響きも豊かになり、「人の心がわかる」人間になれる。コンプレックスに苦しまなかった人は、繊細な心のメロディーがわからない。
戸田先生も言われていた。「劣等感のある人間のほうが強いぞ! 負けん気があるぞ!」と。
おとぎ話の「一寸法師」を知っているでしょう。彼は大きくなりたかった。強くなりたかった。お姫さまにも認めてもらいたかった。そして、鬼が、お姫さまを襲ってきたとき、必死で戦い、「針」でできた剣をふるって、鬼に立ち向かっていった。お姫さまを守るんだと「死にもの狂い」だった。
―― しかし……鬼につまみ上げられて、食べられてしまいます。
池田 それでも彼は「あきらめない」。鬼の腹の中でも、あばれまわって、針の刀で突き続けた。
―― 鬼は悲鳴をあげて、一寸法師を口から吐き出して逃げてしまいます。
池田 その後に残っていたのが、有名な「打ち出の小槌」です。何でも願いがかなう不思議な「小槌」だった。お姫さまが小槌を振ると、一寸法師は、たちまち大きくなって、お姫さまと結ばれる。
さあ、この「鬼」とは何だろう。「打ち出の小槌」とは何だろう。そして「一寸法師」とは、だれのことだろう。
―― 決して、背が低い人のことではなくて……。
池田 そう。劣等感に苦しみ、自分のことを「ちっぼけな存在だ」と思っている人のことではないだろうか。そして「鬼」とは、そんな自分に、のしかかってくる「苦しい現実」だ。また自分を押しつぶそうとする「劣等感」そのものかもしれない。
―― すると、一寸法師が鬼をやっつけたというのは、「劣等感に打ち勝った」ということですね!
池田 心理学者にも、そういう説を唱える人がいるようだ。だから、彼が、うじうじしないで、小さな体でも「死にもの狂い」でがんばった――そのとき鬼は逃げ去り、「大きくなりたい」という願いもかなった。
7 「打ち出の小槌」とは「強い心」
池田 つまり、「打ち出の小槌」とは、自分自身の「強い心」のことではないだろうか。「あきらめない心」「戦う心」のことではないだろうか。それを使えば、何でもできる。「大きな大きな自分」にもなれるということです。
本当のことを言えば、人と比べて、劣等感をもったり、優越感をもったりするのは、まだまだ「余裕」があると言える。生きるか死ぬかというときに、そんなことを言ってはいられない。ともかく必死に、全力を出す以外にない。そのときに、人間の「心」と「生命」というものは、信じられないような偉大な力を発揮するものです。
―― その「生命の力」が「打ち出の小槌」ですね。
池田 「打ち出の小槌」は、だれでも持っている。使うか使わないかは、自分が決めることです。自分の欠点に、くよくよするひまがあったら、「自分にできることの全部」を実行してみることだ。それをした人が本当の「勝利者」です。
その人には、もはや劣等感もなければ優越感もない。人をうらやみもしなければ、人を見くだしもしない。すべての人に温かい気持ちで接していける。あの「五月の青空」のように、晴ればれと生きることができるのです。