Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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友だちをつくるには?  

「希望対話」(池田大作全集第65巻)

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2  「友だちをもつ人」が「豊かな人」
 池田 友人が多い人は幸せだ。「私には親友がいます」と言いきれる人は幸せだ。お金よりも、地位よりも、名誉よりも、「絶対に心がつながっている」「絶対に裏切らない」友人をもっている人こそ、本当に「豊かな人生」です。
 でも、あせる必要はない。できれば、もっと肩の力を抜いて考えてほしい。「今度こそ」とか「つくらなくちゃ」と緊張すると、心も重くなってしままう。
 自然でいいのです。「そのうち、自分にぴったりの友だちを見つけよう」「いつかすばらしい友だちができるから、その分、今はいないんだ」と思っていればいい。
 そうして自分を立派につくっていけばいいのです。自分を立派に成長させた分だけ、すばらしい友だちもできるものです。
 ―― 中学生に「悩みは、だれに相談しますか」と尋ねると、決まって「友だち」と答えが返ってきます。でも、「三年生になって進路を決めるときには、お互いに志望校を隠して言わない」というような面もあるようです。「真の友人」というのは、むずかしいですね。とくに女子は、仲良じグループができます。グループに入ってないという人は少ないのではないでしょうか。それだけ「一人でいること」ヘの不安が強いのだと思います。
 なかには、一人ではトイレにも行けずに、我慢したり、一人では、ご飯も食べられなくて、お弁当を家にもって帰ってしまう人もいるくらいです。
 でも、同じグループだから友情が深いか――というとそうとも言えません。
3  相手が変わっても自分は変わらないのが友情
 「誠実」が一番
 池田 そうだね。友情といっても、いろいろな友情がある。「クラスが変われば、おしまい」という、一年間で終わる友情もある。三年間の友情もあれば、一生続いていく友情もある。
 「いっぱい友人がいるが、どの人とも浅い友情しかない人」もいる。反対に、「たった一人の友人でも、永遠に変わらない、深い友情」の場合もある。
 しかし、「この友情はよいもので、あの友情はつまらない」などと決めつける必要はない。どの友情も大切にすることです。その時、その時で、誠実につき合っていくことです。
 「自分が誠実で変わらない」――これが友情のポイントです。
4  友だちを「無視」してしまった
 ―― ある女子中等部員と同じクラブに入っている六、七人のグループの話です。
 ある時、そのうちの一人が校則に違反することをしてしまい、それを別の一人が、先生に話してしまったのです。「あの子、先生にチクった(告げ口した)から、みんなで無視しようよ」ということになりました。
 じつは、先生に言った子は、女子中等部員にとって、いちばんの仲良しの子でした。しかし、彼女がその子を無視しなかったら、今度は自分が、グループから無視されます。だから、次の日一日、その子を無視してしまったのです。あいさつされても、話しかけられても、口をききませんでした。その子は本当に泣きそうな顔をしていました。
 家に帰ってお母さんにそのことを話すと、ものすごい勢いで叱られたそうです。
 「たしかに、先生に言ったことで、校則違反の子には悪いことをしたかもしれないけど、そうやって悪事をただそうとしたのだから、彼女は正しいんじゃないの。その人をなぜ、無視するの!」
 彼女は反省して、その夜、一時間くらい、友人のことを思って、お題目を唱えました。
 次の日、学校に行ってすぐに、その子に謝って仲直りしました。グループのほかの人は、彼女を見て「裏切りだ」と思ったかもしれません。でも「たとえ、ほかの人から無視されても、私は、その子と友だちでいたい」と思ったのです。
 卒業すると、そのグループのつながりは、だんだん弱くなっていきました。でも仲直りした、その子とは、今でも友情が続いているそうです。
 池田 なるほど! お母さんが偉いね。いい話だ。今の話には、「友情って何だろう?」という疑問を解くヒントがあつたと思う。
 それは、友情とは「自分で決まる」ということです。相手の態度ではなく、自分の態度が大事なんです。
 「相手が自分のことを思ってくれる」から友情なのではない。「相手が裏切らない」間だけ友情が成り立つのでもない。「自分が相手を思う」からこそ、友情なのです。たとえ相手に裏切られても「自分が裏切らない」なら、友情なのです。
 相手の調子がいいときは友だちだが、相手の立場が悪くなると別れてしまう――これでは友情とは言えない。むしろ相手が苦しい立場にいるときほど、自分だけは、その人の味方になってあげる――その勇気が友情の心です。
 ―― ケンカしたり、一時的に相手が自分から離れていっても、自分が変わらなければ友情なんですね。
5  友人は「鏡」 自分の態度が映る
 池田 きょうの質問にもどると、小学校のときにケンカしてしまった友人に対しても、同じことです。
 今、相手がどういう態度であっても、からっとして、あなたから声をかけることです。「私は、あなたを友だちだと思っているよ」ということを、何かの形で伝えられればいいと思う。
 友人というのは、あなたを映す「鏡」です。あなたが声をかければ、相手から声が返ってくる。そのときは、すぐに仲良くなれなくても、あなたの誠実さが、相手の命に、鏡のように映るのです。「受け身」になって、相手が声をかけてくれるのを待っていたら、新しい友だちもできません。
 ―― もしかしたら、相手も、「あの子が声をかけてくれたら、話してもいいんだけど」と思っているかもしれません。
 ただ、初めて会った人には、なかなか「声をかける勇気」をもてない場合もあります。
6  勇気は出すもの
 池田 勇気は「出す」ものだ。だれの心にも勇気は「ある」。しまいこんで「出さないでいる」だけです。唱題すれば、必ず勇気は出る。
 一日に一人でもいい。朝、学校で会ったとき、「おはよう!」と声をかけるだけでもいい。相手は、びっくりするかもしれない。あいさつを返してくれなかったり、無視する人もいるでしょう。でも、それはあなたが悪いのではない。相手の問題です。あなたは声をかけたのだから、「人間として勝利者」です。もしも、相手が冷たい態度をとれば、それは相手が悪いのです。
 「北風と太陽」という童話を知っているでしょう。旅人のコートをどちらが脱がすことができるかを、北風と太陽が競争したお話です。
 北風は、冷たい「力」で旅人にぶつかって、言うことをきかせようとした。でも、旅人は、ますます心を閉ざしてしまった。反対に太陽は、暖かい「ほほえみ」で包んで、旅人の心をつかんだ。
 人間関係も同じです。自分が「太陽」になることです。太陽は、たとえ地球が曇っていたり、雨が降っていても、変わらずに日差しを送り続ける。相手によって態度を変えたりしません。「大きな心」でいくことです。
 ―― 自分がしっかり輝いていけばいいのですね。
7  利己主義では友情は続かない
 池田 「友」という字は、古い時代は「又二つ重なる」と書いた。「手」を表す文字が、二つ重なったものです。
 つまり、同じ「こころざし(目標や決意)」の人どうしが、手をつないで助けあうことを「友」といった。
 その意味では、「試合で優勝したい」とか「勉強して、人の役に立つ仕事がしたい」というように、共通する目標や決意のある人こそ、「友」になれると言ってもいいでしょう。
 エゴイスト(利己主義者)には友情は続かない。
 もっと言えば、「たとえ一人になっても生きる強さ」をもっている人間どうしが、真実の友情を結べるのです。
 それは、竹林にも、たとえられるでしょう。竹は、一本一本が天に向かって、まっすぐ伸びている。ほかの竹に寄りかかったりしていない。ただし、地下の根っこ(地下茎)の部分は、がっちりと、つながっているのです。
 人間も同じです。一人一人が「自立」して、まっすぐ生きていく強さをもっている。でも、「心はつながっている」。それが友情です。
 だから、相手に頼りっぱなしになったり、相手に嫉妬したり、相手を独り占めしようとするのは友情ではない。
 ―― たしかに、友だちが自分以外の人と仲良くなると、「友だちを取られた」さびしい気分になります。
8  友情にも「上」「中」「下」がある
 池田 表面的に「仲良くする」だけなら、だれだってできる。
 牧口常三郎先生(創価学会初代会長)は、友情に上・中・下があると言われているよ。「物や金でつながった交際は、下の友情である。就職の世話をしたり、仲良くするのは、中の交際。友人のために悪(不幸の原因)を取り除き、忠告できるのが、上の友情である」と。
 私は、みなさんに「上の友情」をめざしてもらいたい。一時的に好かれる、嫌われるという小さな心ではなく、心から相手の幸福を祈り、いっしょに成長しよう、いっしょに正義の道を歩もうという生き方です。
9  平和も友情から
 池田 結局、「自分にふさわしい人」としか友情は続かない。その意味でも、友人は「鏡」と言えるのです。「その人を知るには、その友を見よ」という言葉もあるくらいです。
 やはり、悪い堕落のつき合いは、自分をダメにしてしまう。
 青春の友情は、清流のように清らかだ。
 大人になると、なかなか本当の友情ができない。たんに、お金もうけのための友だちだったり、仮面をかぶって「心」を見せないつき合いが多くなる。
 とくに日本人は、世界に友人が少ない。それは、信念を貫く生き方をしていないからではないだろうか。
 ―― そう思います。だから、池田先生が世界中に友人をつくってこられた事実は、「すごい」と思います。
 池田 「友人」こそ宝です。人生七十代になって、今、つくづく、そう思う。世界の「平和」も「友情」から生まれる。
10  ゴルバチョフ少年が学んだ友情
 池田 中学生のみんなは、ゴルバチョフさんを知っているだろうか。ソ連の元大統領で、私も何度も何度も、お会いして語りあった人です。
 元大統領が少年時代に育ったところは、ロシア人のほかに、いろいろな民族の人が住んでいた。自分の知りあいにも、違う言語、違う民族の人がたくさんいた。考え方や生活習慣も違う人たちです。
 そういう人たちと仲良くやっていくために大切なことは何だったか。それは、「心の寛容さ」と、「相手への思いやり」と「尊敬の心」だったそうだ。(『二十世紀の精神の教訓』趣意。本全集105巻収録)
 尊敬の心で接すれば「信頼できる友人」になり、逆に、相手をバカにして接したら「一生の敵」にもなってしまう。そのことを、少年時代から自然に学んできたのです。
 みなさんも同じです。違う性格の人、考え方が違う人、いろんな人がいる。だから悩む。悩んだときには、「今、自分は『人生の勉強』をしているのだ」と思えばいい。
 成績を上げるだけが勉強ではありません。
 生まれたばかりの魚の赤ちゃんだって、海の荒い波の中で、一生懸命に泳ぎながら、だんだん、たくましくなり、立派な大人になっていく。
 人間も同じです。「人と人のつながり」という「人間の海」で、もまれてこそ強くなるのです。

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