Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第1章 使命の人生をともに  

「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)

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9  ”一人一人を大切に”との師弟の誓い
 小野里 私も何度か、峻厳な池田先生の戦いを間近で拝見させていただきました。
 先生と初めてお会いしたのは、一九六八年(昭和四十三年)八月、静岡の白糸で行なわれた研修に、群馬県女子部の代表として参加した時のことでした。
 先生は、私たちといっしょにマス釣りをしたりして思い出をつくってくださり、いろいろと懇談をしてくださいました。
 また、記念撮影をしてくださったのですが、私は先生のちょうど真後ろの位置になったのです。
 そうしたら先生が後ろを振り返り、「毎日毎日、大事な仕事をしてるから、疲れるんだ。肩も張るんだよ」と何気なく言われたのです。
 「私たちのために戦っておられる先生に、少しでも何かお手伝いしたい」「この師のもとで生きよう」と決意したことを、昨日のことのように覚えています。
 久山 記念撮影といえば、私にも忘れられない思い出があります。
 一九七二年(昭和四十七年)一月、先生が沖縄にいらっしゃった時のことです。二日間にわたって、七五〇〇人の代表との記念撮影の機会がありました。
 直前の指導会に参加した私は、「人数が多いので、何グループかに分けて撮影します」と聞き、「時間がかかって、先生がお疲れになってはいけない」と思い、辞退を申し出ました。
 でも家に帰ったら急に悲しくなり、「これで、お会いできないのか」と涙が出てきたのです。
 小野里 やはり、記念撮影に参加したかったと……。
 久山 ええ。それでも、「信心は距離じゃない。絶対に一念は通じるんだ」と思い、真剣に祈りました。そうしたら翌日、沖縄本部で勤行会があるとの連絡があったのです。私は義母と長女を連れて、とるものもとりあえず、駆けつけました。
 沖縄本部に入ろうとしたら、入り口のところで、池田先生とばったりお会いしました。
 先生はにっこりと微笑みながら、娘に「いい子だね、何歳?」などと聞かれ、「お土産に」とビスケットなどを娘にくださいました。
 その娘も先生の創立された創価大学を卒業し、ヤング・ミセスとして夫婦で頑張っています。
 池田 よく覚えています。風の強い、冬の日だったね。
 久山 はい。さらに先生はお入りになる前に、もう一度、私たちのほうを振り返り、黙礼されたのです。
 感動で胸がふるえました。その時の先生の表情、髪型、着ていらっしゃったカーディガンの色まで、すべて覚えています。
 「ああ、先生は私たち会員を徹底して大切にしてくださるんだな」と心の底から感じました。
 池田 学会の草創期の頃、耳が切れそうなほど寒い日に、会合に嬉々と集ってくる同志の方々の姿を見ながら、戸田先生は「これほど尊い姿はない」と、しみじみと語っておられた。
 また、猛暑のなか、汗を流しながら駆けつけた同志の姿を見ながら、「この人たちがいなければ、広宣流布はできない」と涙を流され、私に「この尊い仏子を、生命の続くかぎり守ってほしい」と、峻厳な眼差しで言われたこともありました。
 それが、戸田先生と私との“師弟の誓い”です。たとえ五体をなげうってでも、大切な大切な学会員を守ろうと、私はこの五〇年間、戦い続けてきたのです。
10  母親の豊かさと愛情が子どもの生きる力に
 小野里 私の信心の大きな転機になったのも、池田先生の全魂こもる指導をうかがってのことでした。
 一九七〇年(昭和四十五年)五月、いわゆる「言論問題」で学会批判の嵐が吹き荒れるなか、東京の日大講堂で行なわれた本部幹部会で、先生は、“創価学会の青年を見てください。一〇年後、二〇年後、この青年たちが立派に成長する姿を”と言われました。
 一切の矢面に立たれながら、どこまでも青年を信じ、期待される先生の姿が、涙でかすみました。その時の誓いが、私の人生の大きな支えとなっています。
 池田 あの時は、前年の暮れから、強行スケジュールを組み、無理を重ねたため、体調を崩していたのです。その年の四月ぐらいまで、まる五カ月近く、まったく熱が下がらなかった。
 しかし、わが身がどうなろうとも、学会だけは絶対に守るとの思いでした。そんな私の心の支えになったのが、同じ「使命」に生きゆく青年たちの存在であり、青年の成長でした。
 戸田先生も、私におっしゃっておられた。
 「今、私は矢面に立っている。君たちには傷をつけたくない。激しい疲労の連続ではあるが、私は毅然として時をかせぐ。君たちは今のうちに勉強し力を養い、次の時代に敢然と躍り出て、広宣流布の実現をはかってもらいたい。戦いは長い。すべて君たちに託す以外にない」と。
 私も、恩師と同じ気持ちです。その思いは、今もまったく変わりません。
 久山 今の池田先生のお話をうかがっていて、中国の作家・魯迅の、「生きて行く途中で、血の一滴一滴をたらして、他の人を育てるのは、自分が痩せ衰えるのが自覚されても、楽しいことである」(石一歌『魯迅の生涯』)との言葉を思い起こしました。
 先生が沖縄にいらっしゃるたびに、「青年を育てよう」「青年を大事にしよう」と、何よりも最優先で、寸暇を惜しんで、後継の青年たちを手づくりで育てられる姿を目の当たりにし、身が引き締まる思いがします。
 池田 魯迅の言葉は、革命に生き抜いた彼らしい表現ですが、その気持ちはよく分かります。
 人を育てるという意味では、子育ても同じです。
 母親が子どもにわが命を注いで育てていく――それが子どもの生命に感応して、大きく花開くのです。母親の生命の豊かさと愛情は、必ず子どもにとってかけがえのない生きる力となっていきます。
 「どうか幸せになってほしい」「使命の道をどこまでも歩んでほしい」と願い、未来を託す思いで接するなかで、母も子もともに、永遠に崩れない幸福を勝ち取ることができるのです。

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