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日蓮大聖人・池田大作

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第6章 子どもを信じぬく心  

「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)

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8  留守番の子の気持ちをくみとる
 池田 親御さんの気持ちも分かるが、あまり深刻に考える必要はないと思います。
 一生懸命、学会活動してきて、いざ家に帰ると、子どもはゲームに熱中している……。
 ついつい、声を荒げたくなる時もあるかもしれませんが(笑い)、怒ることよりも、まず「お留守番、ありがとう」「ご苦労さんだったね」と、お子さんに心をこめて声をかける。
 そして、「何か、変わったことはなかった」「さみしくなかった」と、留守番していたお子さんの気持ちをくみとってあげることが大切です。
 子どもだって、くたくたになって学校から帰ってきて、少しは自分の好きなことをしたいと思うのがふつうです。
 親がまったく注意しないというのもいけませんが、注意は一回でいい。
 いつもガミガミ言っていると、子どもは気が休まらなくなってしまう。
 子どものほうも時がくれば、「いつまでもゲームばかりやってられないな。ほかにやることは、たくさんある」と、ちゃんと気づく。ゲームに熱中しても、それはあくまで一過性のものでしょう。
 親のしっかりとした祈りと行動があれば、子どもはちゃんと育っていくものです。
 森本 ところで、テレビやゲームの内容が、子どもの精神面に与える影響や、長時間におよぶことでの健康面の影響を心配するお母さん方も多いようです。
 池田 内容もそうですが、テレビにしろ、ゲームにしろ、あまり長時間におよびそうな時は、あらかじめお子さんと終わる時間を決めておくか、「お茶でも入れるから、少し休憩したら」とか、工夫して声をかけてあげることは、大切なことだと思います。
 テレビも、いい面と悪い面がそれぞれある。テレピをきっかけに、親と子の対話を深めるというぐらいの余裕があっていい。
 小学生の時、難民の悲惨な状況を伝える番組を見て、「この人たちを救うには、医者になるしかない」と決意し、それから一生懸命に勉強して、現在は医学の道を歩み、活躍している人もいます。
 何も、テレビそのものが悪いわけではない。
 それをつくりあげる大人の側に、確かな倫理観、価値観が失われつつあります。
 子どもの未来を顧みず、犠牲にしてまでもうけようとする、社会の風潮が強まっていることこそが、問題なのです。
 今、日本はふたたび、”下り坂”を転げ落ちようとしています。
 日蓮大聖人も、こうした社会の乱れが、まちがいなく子どもたちの心を荒廃させてしまうことを、厳粛に教えられています。(御書1564㌻)
 私たち大人は、こうした風潮を許さず、徹し正していかねばなりません。
 池田 牧口先生は、こう叫ばれました。
 「善悪の識別の出来ないものに教育者の資格はない。その識別が出来て居ながら、其の実現力のないものは教育者の価値はない。教育者は飽まで善悪の判断者であり其の実行勇者でなければならぬ」(「教育改造論」、『創価教育学体系』第三巻所収)と。
 これは、教育者のあり方を示された指針ですが、子育てに、おいては親も、同じ覚倍と責任感で臨んでいくべきでしょう。
 何が善で、何が悪なのか──信念をもって教えていく使命と責任が、親にはあるのです。
 そして、牧口先生が強調されているように、みずからが「実行の勇者」となり、生き方そのものを教え導く必要があるのです。
 谷川 その意味では、どれだけ世間が悪くなっても、どんな環境が子どもを取り巻いたとしても、そうしたことに紛動されない「強さ」を、親自身が身をもって示していくことが大切なのですね。
9  子どもを信じぬけば最後には勝てる
 池田 そのとおりです。
 このことで思い出すのは、恩師戸田先生のご指導です。
 忘れもしない、昭和二十六年(一九五一年)五月三日──。苦闘の日々を突きぬけて、戸田先生が待望の第二代会長に就任された時のことです。
 最後に先生は学会歌の指揮に立たれたのですが、その時の勢いで、卓上の水差しとコップがふれて、どちらも壊れてしまった。
 先生はその時、当意即妙にこうおっしゃったのです。
 「水差しは”コップがふれたから割れた”と言い、コップは”水差しがぶつかったのだから割れたのだ”と言うかもしれない。
 しかし、両方に壊れる素質があったから、壊れたのです。
 これが、綿とガラスだったらどうだ? 決して壊れはしまい。信心も同じです。
 他人が悪いから不幸になったと思っているが、そうではない自分が綿になれば、決してだれからも壊されはしないだろう。
 他人ではない。自分の宿命を変えていく以外に道はないのだ」──と。
 目の前に起こった一つの出来事を生かして、仏法の深さ、人生の哲理を、分かりやすく自在に教えてくださったのです。
 子育ても同じです。環境ではない。
 同じ縁にふれでも、惑わされず、振りまわされない「強さ」を、まず親がもっていくことが根本です。”綿”になって、ふんわりと子どもをつつみこんであげるのです。それが、本当の「強さ」でしょう。
 一時期、子どもが揺れ動いたとしても心配ない。親が子をどこまでも信じぬき、その「強さ」を忍耐強く養ってあげれば、何があろうと最後には、勝てる。一緒に大きく人生を開いていけるのです。

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