Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第4章 思い出をつくろう  

「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)

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3  愛情はきちんと表現する努力が大切
 勝本 身近な例ですが、関西の婦人部員が、こんなことを言っていたのを思い出しました。
 その方は、二人目のお子さんを妊娠している時、かがむのがつらいので、つい足で扇風機のスイッチを押したそうです。
 すると一歳五カ月の長男がまねをして、足でスイッチを入れたり消したり……。(笑い)
 「ああ、子どもって『言ったとおり』にはしないけど、『やったとおり』にするんだなあ」と思ったそうです。(笑い)
 大曽根 「子どもが親をどう見ているか」といえば、私にはこんな経験があります。
 まだ娘が幼稚園の頃のことです。
 私が夜、学会活動などから帰ってくると、“子どもタイム”です。
 初めはお話をしてあげたりしていたのですが、そのうち「役割交換ごっこ」をして遊ぶようになりました。私が娘の役を、娘が私の役を演じます。
 私が「ママ、出かけないで」と言います。すると、娘は「うん。ママは、きょう、どうしても行かなきゃいけないところがあるから。じゃあね」と言ったあと、「ブ~」。どうやら、それは車で出かけていることを表しているらしいのです。(笑い)
 「ママ、お腹がすいたよ」と私が言うと、「だいじょうぶ。そこにおいてあるでしょ。それ食べてて」「ブ~」。(笑い)
 その言い方が、とても冷たく感じられるのです。私としては、出かける時に、できるだけ心を尽くして、言い含めているつもりだったのですが、子どもの目には、そのように映っていたのだろうかと反省させられました。
 池田 子どもの生命のレーダーは、親が思っている以上にずっと鋭敏だからね。
 お互いが相手の立場に立ってみると、それまで見えなかったものが見えてくる。
 お子さんも、人のため、社会のために、学会の婦人部で毎日休まず行動しているお母さんのことを、必ず分かってくれているはずです。
 だからといって甘えてはいけない。子どもへの愛情は、きちんと「表現」していく努力が大切です。
 大曽根 自分らしく、元気いっぱいに、そして、もっともっと子どもの心に届くよう、言葉かけや配慮を重ねていきたいと思います。
4  夏休みを「宝の思い出」を刻む機会に
 勝本 この夏休みの時期は、「家庭教育」にとっても大切な時期ですね。
 夏休みの子どもの生活も、昔とはずいぶん、変わってきました。「夏休みは受験勉強の天王山」と言われるように、“缶詰”になって勉強しなければならない子どもたちも、多くなっています。
 大曽根 いつもは日中、学校に行っている子どもが、ずっと家にいる。これは親にとって大変な面もあります。(笑い)
 子どもの自由な時間がふえる分、親の目も届きにくく、不安もあります。
 池田 夏休みといえば、だれしも待ち遠しく、本当に楽しみなものです。私も、そうでした。今はお父さんも、お母さんも、そして子どもも、ずいぶんと忙しいね。
 考えてみれば、戸田先生に師事して以来、私には「夏休み」など一日もなかった。(笑い)
 戸田先生は、「広宣流布と信心に、休みはない。休むのは、墓に入ってからだ」と、眼鏡の奥の目を細めて、よくおっしゃっていた。私は戸田先生の弟子として、瞬時を惜しんで、学会のため、会員の方々のため、広宣流布の道を切り開いてきました。
 この人生に一点の悔いもありません。
 ただ、子どもたちには、寂しい思いをさせたことがあったかもしれない。そうしたなかで、私なりに心がけてきたことは、わずかな時間を縫うようにして、子どもたちに「思い出」をつくってあげることだった。
 夏休みは、親が子どもとじっくりつきあい、子どもの生命に「宝の思い出」を刻んであげる機会にしたい。
 勝本 本当にそうですね。
 私の胸に刻まれている、こんな家族の光景があります。
 私の父は、子どもが大好きでした。
 それでよく、近所の子どもたちを家に招いて、縁側でいろんな話をしてくれたのです。
 童話、昔話、お化けの話、父が自ら体験しためずらしい話……。父の口から、次々と出てくる、おもしろいお話に、みんなで時を忘れて聞き入りました。
 そんな時、いつも必ず母が手作りのお菓子を、そっと運んできてくれるのです。
 水ようかんなど、きれいにできていると、子ども心に、とても誇らしく思ったものです。
 その時の父の声色、心地よく吹く夕暮れの風、みんなの目の輝き、母の優しい笑顔――今でも、その時のことがありありと胸に蘇ります。すると、とても温かく、懐かしい気持ちになります。
 池田 昔は、そのように、地域に教育の力があったね。
 幼い日に刻んだ思い出は「生涯の宝」であり、「心の糧」だ。孤独の時には友となり、苦難の時には支える力となります。
 ささやかな思い出であっても、本当に心と心が触れ合ったものなら、年月を経ても朽ちない。思い出は、親子の絆の結晶とも言える。
 勝本 先生の振る舞いに触れるたびに、「思い出をつくる」ことは、すなわち「人を育てる」ことだと実感します。
 本年(一九九八年)五月に関西創価学園を訪問してくださった先生が、今年の春に入学したばかりの高校・中学校・小学校の一年生と、記念撮影をしてくださいました。
 短い撮影の間も先生は、生徒たちの顔をじっと見つめながら、「いい顔をしているね」「勉強は好き?」「お父さん、お母さんによろしくね」と、一人ひとりに声をかけておられました。その姿が、心に深く残っています。
 卒業した学園生に聞いてみると、創立者である池田先生との思い出を、次から次へと語ってくれます。
 ある時は、皆の前でピアノを弾いてくださった。またある時は、手品を披露してくださった。いっしょに芋掘り大会に参加してくださった。共に卓球で汗を流してくださった……こうした「宝の思い出」を支えに、学園生は世界で活躍しています。
 池田 私がつくった学園に来てくれた生徒たちです。感謝するのは、こちらのほうです。皆が喜んでくれるなら、私はどんなことでもする。これが創立者の心です。
5  激闘のなかでの全力の励まし
 大曽根 学園生に限らず、池田先生との宝の思い出を支えに生き抜いている尊き庶民の英雄が、全国、全世界に数え切れないほどいます。
 横浜のある婦人部の方の体験を、ぜひ読者の皆さんのために紹介させていただきたいと思います。
 今から二〇年ほど前、そのご婦人は、知的な発達が遅れがちな長男と次男を育てながら、必死に生き抜いていました。
 周囲の無理解や偏見もありましたが、「必ず宿命転換をして、一家和楽の実証を示したい!」と頑張っていました。
 昭和五十四年(一九七九年)のことです。池田先生が会長を勇退されたとのニュース。驚いたその方は、「どうしてそんなことが! 信じられない! 許せない!」と悔しい気持ちでいっぱいになりました。
 庶民の英知の直感というのでしょうか、宗門の悪侶たちの策動を鋭く察知したのです。
 それから三週間余り経った日のことです。
 その方のもとに一本の連絡が入りました。
 なんと、池田先生が、地域の先輩からご一家のことを聞き、皆さんと神奈川文化会館で会ってくださることになったのです。皆で、夢のような気持ちで会館に行ったといいます。ご長男は六歳だったそうです。
 池田 よく覚えています。
 当時、私は、神奈川文化会館を拠点に、長い間、学会を支えてくれた功労者や学会員の力になりたいと、一人ひとり、激励し、ご自宅を訪問させていただいていたのです。
 大曽根 そのご婦人の手記を、そのまま紹介させていただきます。
 「池田先生にお会いすると、それまで『パッパ』と『マンマ』としか言えなかった長男が、突然、はっきりと大きな声で『先生、こんにちは』と、うれしそうに言ったのです。
 すると先生は、『元気に話せたね』と言われ、子どもたちの頭をなでてくださいました。
 四歳の次男は、『先生、おくち見せて』『先生のおなか見せて』とせがみ、そのたびに先生は口を開けてくださったり、ポロシャツを上げて、お腹を見せてくださるなど、大変でした。
 申し訳なさでハラハラしていると、先生は『今日は、お子さんが主賓だよ』と温かく見守ってくださいました。
 今思うと、この時、先生は、お一人で戦われていたのです。そんなことなど微塵も感じさせずに、私たちを守るため、全力で激励をしてくださったのです。
 子どもにも、一生の思い出をつくっていただきました。慈愛あふれる先生との出会いがあったればこそ、数々の苦難を乗り越えてこられたのです」
 その後、ご長男は、アルバイトをしながら定時制高校を卒業され、立派な社会人となりました。次男の方は、養護学校高等部を卒業し、大手企業に就職。これは、学校創立以来の快挙だそうです。
 池田 本当にうれしい。皆の勝利の報告を聞くのは、何よりもうれしい。
 現実の社会は厳しい。嵐の連続です。だからこそ私は、せめて皆に金の思い出をつくって、勇気を贈ってあげたいのです。「生き抜く糧」となってくれればとの思いです。
6  「何か一つ」やり抜くことが子どもの自信に
 勝本 子どもたちを未来の人材に育てていかなければなりませんが、夏休みの工夫として、大阪のある婦人部員さんが、こんな例を伝えてくれました。
 このご家庭には、中学生と小学生の三人の男の子がいます。
 その方はいつも、終業式の日には、「たこ焼きパーティー」や「お好み焼きパーティー」の準備をして、子どもたちの帰りを待っているそうです。
 大曽根 関西らしい知恵ですね(笑い)。終業式の「たこ焼きパーティー」の味は、いつまでも忘れられないでしょうね。
 勝本 ええ。これは、一学期間、頑張って登校したことを讃え合うとともに、休みの間、「何か一つ」やり抜こうと約束をするためだそうです。
 その約束とは、「弟の面倒をみる」「くつを毎日、きちんとそろえる」などのお手伝いが主なのですが、自分で決めて、最後までやり抜くことを約束するのです。
 池田 なるほど。夏休みは勉強も大事だが、家の手伝いなどに挑戦するのも大事なことだ。
 「あれもしよう」「これもしよう」と計画しても、計画倒れに終わることも多い。
 「何か一つ」やり抜くことが、子どもの自信につながる。
 夏休みに家族で旅行して、思い出をつくるのもよいことだが、親子でいっしょに何かに挑戦するのも尊い思い出になる。
7  未来部担当者の努力に感謝
 大曽根 夏休みの期間、学会では「未来部躍進月間」と銘打ち、青年部を中心とした未来部担当者が、各家庭のお子さんに深くかかわり、高等部・中等部・少年少女部員を励ましてくださいます。
 各会館で「未来部塾」を開き、お兄さんやお姉さんが勉強を教えてくれたり、みんなで合唱をするなど、楽しい催しもあります。
 親としては、本当にありがたいかぎりです。
 池田 学会の未来部担当者の皆さんは、本当に尊い方々です。私は合掌して、最大に賛嘆したい。
 大曽根 先生は、そうした未来部担当者の皆さんを「二十一世紀使命会」と名づけてくださり、また、ある時は和歌も贈ってくださいました。
  陸続と
    俊英育てむ
      君たちの
    責務と行動
      三世に輝け
 皆、大きな誇りを感じ、喜びに燃えて、二十一世紀の宝を育んでいます。
 勝本 一九九七年、大阪市の小学五年生の少女が、小学生文化新聞主催の「作文コンクール」で優秀賞に輝きました。
 彼女は、少年少女部の合唱団の一員です。作文には、未来部担当者である合唱団の団長との心温まる交流が描かれています。
 題名は、「清団長、ありがとう」。
 ――少女は、小学校三年生の時に、学会の大正区少年少女合唱団に入団します。
 そこで、清富一さんというすばらしい男子部の方に出会います。
 少女は、清団長のことを、作文に、こう綴っています。少々、長いですが、そのまま紹介させていただきます。
 「清団長は、ひとみがいつもキラキラかがやいて、元気いっぱいです。練習のときは、笑顔でやさしく教えてくれます。しかし、信心のことや池田先生のことになると、体中で話をするのです。
 また、練習日ていをワープロでうち、それを夜中に、団員全員のポストに入れてくれるのです。また、なかなか練習日がとれない時は、カセットテープに練習曲を入れて、これも一人一人にわたしてくれました」
 「うれしいできごとを清団長に話すと、自分のことのように喜んでくれて、それをみんなの前で発表してくれました。反対につらかったことを話すと、なみだをうかべて、『がんばるんやで』と、あたたかくはげましてくれました。清団長はとても心のきれいな人だなあと思いました。
 私は、合唱団の練習が楽しみで、休まずに参加しました。そのおかげで、ごん行ができるようになり、学会のことや池田先生のすばらしさを教えていただきました」
 大曽根 清団長の温かい人柄と、その人柄を慕う亜希子さんの心が伝わってきますね。
8  子どもの心に輝く担当者の思い出
 勝本 少女が四年生の秋、信じられないことが起こります。
 清団長が仕事中、交通事故に遭い、亡くなられてしまったのです。
 「うそや! 絶対にうそや!」。少女は、とても信じられませんでした。
 その夜、清団長に会いに行きます。清団長の顔は、とてもきれいで、笑っているようでした。
 合唱団の担当者の人が、少女に言いました。
 「清団長は、もう、いないけれども、“ぼくの分まで強く生きるんだよ! 池田先生の弟子として、立派な人材に成長するんだよ!”とみんなを応えんしていますよ」
 悲しみを乗り越えて、少女は強く、強く決意します。
 「そうだ。清団長が亡くなったことは悲しいけれど、清団長が教えてくれたことをしっかり守っていこう。清団長の分まで信心をがんばろう」
 作文の最後に、こう書いています。
 「私は、清団長のことは、絶対に忘れません。これからもずっと見守っていてくださいね。清団長ありがとうございました」
 この合唱団に、先生は、「新世紀フロンティア合唱団」と名前をつけてくださいました。
 池田 私も追善のお題目をあげさせていただきました。
 清さんは、若くして亡くなった。しかし、宿命転換の仏法です。その生命は、妙法に照らして、三世にわたって栄光につつまれてゆくことは、絶対に間違いない。また、仏法の眼から見れば、すぐに健康な生命になり、広布のために生まれてきます。
 何より清さんの思い出は、後継の友の中に生きている。人々のため、広布のために働いた清さんの人生は、少年少女たちの心に鮮烈に刻まれ、思い出は、時を経ても輝いていくことでしょう。
 今の世の中は、皆、自分のことで精いっぱいだ。エゴの社会であり、他人のことにはかかわらない無関心の風潮が強い。
 そんななか、「二十一世紀使命会」の方々は、忙しい時間をやりくりしながら、地域の子どもたちのために尽くしてくださる。
 普通ならば考えられないことです。社会を蘇生させ、未来を築いている崇高な方々です。
 こうした市井の功労者をこそ、社会は顕彰していくべきなのです。
 大曽根 本当に、そう思います。
 子どもの生命は、純白のカンバスのようなものですから、どんな人や出来事に触れるかがとても大切だと思います。
 善も悪も、見るもの、聞くもの、出会い、すべてが生命に刻まれていくのですから。
 勝本 これまで池田先生は、「小学生文化新聞」にさまざまな創作童話を連載してくださいました。
 先生の童話は、本当に、子どもたちの生命に深く刻まれています。夢やロマンが、大きくふくらんでいきます。
 池田 少年少女たちの豊かな生命の大地を耕し、「希望の種」を植えてあげたい――その、せめてもの思いから童話を綴っているのです。
 大曽根 先生の創作童話は、日本のみならず、世界各地、十言語以上に翻訳されています。
 香港やマカオでは、アニメ化されてテレビでも放映されています。
 アメリカの『児童文学作家人名録』には、三ページにわたり先生のことが紹介され、「困難に直面した時の希望と忍耐の大切さを表している」と評しています。
 とくに海外では、世界的な童画家のブライアン・ワイルドスミス氏が絵を描いた、池田先生の絵本が好評を博しています。
 その一冊『さくらの木』をアメリカの書評は、こう評しています。
 「両著者は、思いやりの心が必ず報われることについての、愛情のこもった物語を発表している。池田氏はその穏やかな文章の中に、主人公の子どもたちに見られるような無垢な心と好奇心を吹き込んでいる。同氏のメッセージは、お説教調のものではなく、本質的なことを伝える」
9  人間の子どもを救うための動物の会議
 池田 過分な評価に恐縮します。世界各国の子どもたちが、私の物語をとおして、何らかの希望や勇気をくみとってくれれば、これほどうれしいことはない。
 ワイルドスミス氏に、「子どもが心の奥底で求めているのは何でしょうか」と聞いた時、氏は即座に「それは、幸福です」と答えられた。忘れられない言葉です。
 童話といえば、ドイツのエーリヒ・ケストナーに、『動物会議』という有名な小説があるのを知っているだろうか。
 勝本 ケストナーといえば、大変に有名な児童文学作家ですね。
 池田 そのとおりです。『動物会議』は、第二次世界大戦直後に書かれた作品です。(高橋健二訳、『ケストナー少年文学全集』岩波書店、参照)
 ――人間たちが、たくさんの国に分かれ、戦争を繰り返している。戦乱のなかで親やきょうだいを失い、飢え苦しむ子どもたち。
 「これでは人間の子どもが、あまりにもかわいそうだ」と、動物たちが警告するが、人間は、何十回も会議を繰り返しているばかりで、埒があきません。動物たちは、人間の子どもを救うため、初めての「会議」を開きます。世界中から動物の代表が集まってくる。
 大曽根 全世界の動物が集まるというのは壮観ですね。夢にあふれた、子どもたちが喜びそうな光景です。
 池田 「国境をなくそう!」との動物たちの呼びかけを、人間の政治家は、はねつける。
 とうとう動物たちは、非常手段に出ます。
 「役に立たない両親からは親の資格をとりあげてよい」という人間の法律に従って、大人たちから、その資格を取り上げてしまうのです。すべての人間の子どもを一晩、自分たちの所に隠してしまった。
 子どものいない、物音ひとつしない世界で、途方にくれて悲しみに沈む大人たち。
 動物代表である、象のオスカールが人間全体に演説をする。
 「われわれの忍耐はつきた。われわれは、きみたちの子どもらを愛し、その将来を心にかけているのに、きみたちの政府は、きみたちの子どもらとその将来を、くりかえし、けんかや、戦争や、わるだくみや、欲ばりによって、危険にさらし、破壊している」
 勝本 鋭い言葉です。大人たちは、子どもを失って初めて、自分たちの愚かさに気づいたのですね。
 池田 子どものいない淋しさ。耐えられない苦しみです。とうとう大人たちは、動物たちの要求をのみ、地球から国境をなくす条約にサインします。そして、子どもたちは、それぞれの親のもとに帰ってくるのです。
 条約の最後の条文には、こうある。
 「子どもをほんとうの人間に教育する任務は、いちばん高い、いちばん重い任務である。真の教育の目的は、悪いことをだらだらと続ける心を許さない、ということでなければならない!」(同前)
 大曽根 教訓に満ちたお話ですね。真剣に胸に刻みつけなければならない言葉だと感じました。
10  「子どもたちのために!」と大人は団結を
 勝本 今、無邪気に遊ぶ子どもたちの姿を見て、その未来に思いをはせる時、いても立ってもいられないような気持ちになることがあります。
 先生が以前、教えてくださった牧口先生の叫びが胸に迫ってきます。
 「入学難、試験地獄、就職難等で一千万の児童や生徒が修羅の巷に喘いで居る現代の悩みを、次代に持越させたくないと思ふと、心は狂せんばかりで、区々たる(つまらない)毀誉褒財の如きは余の眼中にはない」(「緒言」、『創価教育学体系』第一巻所収)と。
 池田 牧口先生の、子どもを思う痛切なまでの愛情に心が打たれるね。「動物会議」の会場には、一つのスローガンが掲げられていました。
 それは、「子どもたちのために!」の一言だった。
 「子どもたちのために!」――すべての「母」の決意です。
 「子どもたちのために!」――この気持ちで、私も走っています。
 「子どもたちのために!」――この一点で、心ある大人たちは団結しなくてはいけない。
 手遅れになってはいけない。
 「われわれの社会は、子どもを可愛がりはしても、まだ十分に愛してはいない」――初めに紹介したチェコのマサリク大統領の言葉です。
 「悪いことをだらだらと続ける心を許さない!」と、立ち上がる時です。
 現代に生きる、すべての大人たちが、子どもに対する責任があるのですから。

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