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日蓮大聖人・池田大作

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生きたようにしか死ねない  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

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3  福祉の現場で人間学を学ぶ
 松岡 青年部にも、高齢者福祉の現場で活躍するメンバーが数多くいます。福岡・大牟田市で副本部長の大野哲也さん(三十五歳)も、そんな一人です。
 大野さんは、十四年間、市内の特別養護老人ホームで生活指導員をされています。
 佐々木 それが絵に描いたような好青年で、「なぜ、高齢者福祉の仕事を始めたのですか」と尋ねますと、「人間を知りたかったからです」と。
 池田 偉いね。人生経験の豊富なお年寄りから学ぼうということですね。
 佐々木 はい。学生時代から肚が決まっていて、福岡にいたのに、わざわざ佐賀の西九州大学を選びました。
 九州にある四年制大学のうち、社会福祉学科があるのは、当時、そこだけだったからです。
 松岡 創価学会への入会は、老人ホームで働き始めて三年目のことです。友人が隣のおじさんに折伏され、迷っているというので、心配して一緒に行ってあげた。横で話を聞いているうちに、「そんなに良いものなら僕もやります」と、友人と一緒に入会したのです。その友人も、男子部で頑張っています。
 池田 求道心があるんだね、何事にも。
 佐々木 お年寄りに喜んでいただくため、日本舞踊を習い、名取になったほどです。また福岡ドームでのアジア青年平和音楽祭には、人文字で参加し、「初めて先生にお会いできました」と目を輝かせていました。
 松岡 特別養護老人ホームは、お年寄りの「終のすみか(最終の住まい)」です。大野さんも数多くの臨終を見て、つくづく「人生の総決算は『死』に表れる」という池田先生のど指導を痛感するそうです。
 わがままで、人に迷惑ばかりかけて、友だちもいない人が、死に臨んで、気管と胃にチューブを通され十日ぐらい苦しんで亡くなられたりするのは、とても悲しい、と言っていました。
 佐々木 一方、寮母さんからたいへんに好かれていたご婦人で、周囲にもよく気を使う方が、食事をすませ、お風呂にも入って、横になられていると、申しあわせたように、娘さんたちが相次ぎ面会にきて、そのまま子どもたちの手をにぎって、すっと亡くなられたのも、見ています。
 池田 ″人間は生きてきたようにしか死ねない″とを実感しますね。
 佐々木 まだあります。腹巻きにお金を隠していると公言していた方が亡くなられ、いざ、腹巻きを見てみると、お札ではなく新聞紙だった。それを見て、集まっていた親戚などが蜘妹の子を散らすように帰っていったとか。
4  臨終に「心の財」が輝く
 池田 臨終の厳しき現実です。「蔵の財」も「身の財」も、死に臨んではむなしい。決して、それだけでは真実の幸福を支えてはくれないのです。
 ゆえに大聖人は「心の財第一なり」と教えてくださっています。「心の財」こそが、人生の永遠の財宝です。
 私も、多くの方の死を見てきました。社会的に著名な人もたくさんいました。結論して言えることは、信心の世界で戦いきった方は皆さん、尊厳なる姿で亡くなっているということです。たとえ病気や事故で亡くなった方も、長命な方も短命な方も、その死によって、遺された家族や後輩たちにかけがえのない「精神の宝」を残しておられます。
 松岡 前に紹介した東京・武蔵野〈区〉の女子部員、山本悦子さんのお母さまが、五年間の闘病の末、他界されたというお手紙をいただきました。眠るような臨終で、その相は、三十歳くらい若返ったような皺一つないお顔であられた、と。
 葬犠も、すばらしい友人葬で、親戚の方々も、美しいお母さまの姿に感銘され、真心の友人葬に感謝しておられたそうです
 。
 池田 全部、お聞きしています。亡くなってなお、広宣流布のお仕事をされたのですね。
 お母さまは勝ちました。見事に宿命転換されました。最愛の人を亡くされた娘さんの悲しみは、察するに余りあります。しかし、お母さまを介護し続けた娘さんも勝ったのです。逝く人も、看取った人も、ともどもに勝ったのです。
 戸田先生が逝去される前年でした。
  勝ち負けは
    人の生命
      常なれど
    最後の勝を
      仏にぞ祈らむ
 との歌をいただきました。
 人生の最終章の勝ちは、御本尊に祈っていく以外にはないのです

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