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日蓮大聖人・池田大作

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介護は聖業  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

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3  寝たきりでも″一家の太陽″に
 池田 私がご家族のことを詳しくお聞きしたのは、藤野さんが方面書記長をされていた時でした。
 ちょうど中部文化会館を訪れていて、役員で残っていた小泉婦人部長と藤野書記長に、私の妻が、「こういうときは、お家は大丈夫なのですか」と声をかけた。
 藤野さんは元気いっぱいに、「はい。子どもも大きくなりましたので、皆に守られてやっております」と答えられたそうですが、その時に、横にいた小泉婦人部長が、「じつはお義母さんが十年間、寝たきりで……」と教えてくださった。
 すかさず藤野さんは、「でも、とっても明るくて、″ベッドの上の青春″のような、おばあちゃんです」と言われていた……。
 松岡 計りしれないご苦労があったでしょうが、″ベッドの上の青春″とは素敵な言葉ですね。
 池田 妻から聞いて、本当にけなげで、頼もしく思った。介護をする人もされる人も、協力しあって、広宣流布のために戦ってくださっている。
 松岡 その時でしたね。先生がお義母さんにニックネームを贈られたのは。
 池田 そう。「ミセスベッド」という愛称を贈りました。″ベッドの上の青春のおばあちゃんに、人生の勝利あれ!″との心をこめて。
 佐々木 お義母さんも、うれしくて、うれしくて、名古屋地方の習慣もあるのでしょうか、赤ちゃんが誕生したときのように、「命名 ミセスベッド 昭和六十三年三月二十八日 池田先生より」と書いた大きな紙を枕元に飾った。
 お義母さんは朝早く起きて、目標を決めて題目をあげるようになったそうです。また″私が頑張らないと、嫁も学会活動できない″と、いよいよ″共戦の心″をもつようになったといわれます。
 松岡 先生の励ましが、前向きな新しい生命を蘇らせたのですね。
 池田 お義母さんのことは、その四日後の本部幹部会のスピーチでも紹介させていただいたことがあります。(一九八八年四月一日)
 長らく寝たきりの方ですが、だれよりも明るく、その笑顔で一家全体を照らしておられる方であると。たとえ動けなく、寝たきりになっても、信心が健康であれば幸福の境涯は揺るぐことはない。心の勝利こそ、人生の勝利です。
4  ″思いやりの心″が時代を変える
 佐々木 「いつ終わるともしれない介護を支えたのは何ですか」と藤野さんに尋ねますと、「学会活動です」と言われました。
 「学会活動があるからこそ、いつも目標をもって前進できました。一山越えたら、また一山で息つぐ間もない。いつも進んでいたので、介護で疲れても、落ち込んでいる暇はなく、すぐに気持ちをきり替えざるをえなかったのです。たいへんな反面、充実した喜びの時間の連続でした」との言葉に、心から感銘を受けました。
 松岡 義母さんは八十歳で安らかに逝去されましたが、その時の池田先生の温かい激励にも心から感謝されていました。
 池田 悔いなく完全燃焼して介護しきったからこそ、藤野さんにとって、かけがえのない、宝の十五年間になったのですね。
 佐々木 ご家族もそうでした。長女も二女も、生まれてからというもの、寝たきりのおばあちゃんしか知らないわけで、排泄や食事のお世話をするなかで、お年寄りへの思いやりの心を自然に培ったのです。
 池田 介護の大事な側面は、そこです。他者に尽くすことによって、他者の痛みや苦しみを、分かちあえる人になっていく。こうした″善の心″の連帯は、介護が社会化されるにつれて、家庭内にとどまらず、地域社会へと広がっていくでしょう。
 その意味で、高齢社会は、お年寄りも若者も、男性も女性も、健康の人も病気の人も、平等な立場で、たがいに学びあい、支えあって生きていく、″心のバリアフリー(壁のない)社会″となる可能性を秘めているのではないかと思います。
 松岡 それは、創価学会が進めてきた運動のめざすところでもありますね。
 池田 そう。さらに仏法では、親子一体の成仏を説きます。また、現世と過去世と未来世を貫く因果の法理を示しています。
 藤野さんがそうであったように、三世の生命の視点に立って考えるとき、介護の意味をいちだんと深くとらえ、わが使命として、前向きに取り組んでいくことができるのではないでしょうか。

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