Nichiren・Ikeda
Search & Study
父と母からの贈りもの
「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)
前後
4 亡き人の生き方が、残った人をつつむ
池田 親子の絆は、強い。親がどう生きたかは、子どもに深く刻まれる。広く「第三の人生」の重要課題を言えば、いかに最後の最後まで自分らしい生き方を貫き、周囲に示しきっていけるかということです。
亡くなった人の記憶や思い出、生き方の規範が、残った人を大きくつつみ込んでいく、ともいえるでしょう。
松岡 四十九歳のある壮年部の方から手紙が寄せられました。長野市に住む八十歳の父と母が学会一筋に生きてきた。その尊さにやっと気がつき、両親に感謝していると書かれてありました。
お父さんが副支部長さんで、お母さんが地区副婦人部長さんです。ご本人も第一線の方です。
とてもすばらしい内容で、いろいろと考えさせられるお手紙ですので、読者の皆さんにご紹介させていただきます。
池田 こういうお父さん、お母さん方が、学会を築いてきてくださったのです。私は、いつも合掌しています。「第三の人生」で、周囲に何をあたえ、残していくか。それは、財産や名誉や地位などいっさいをはぎ取った後に、生死を超えて厳然と残るが″人間としての生き方″しかないのです。
5 〈読者のお便り〉
「第三の人生」を考えるということで、私は、今年八十になった両親を振り返ってみた。
昭和三十四年に入信して以来、それとそ信心一筋に生きぬいてきた両親である。
父親は、酒も飲まなければギャンブルもしない。私が知る父親の姿というのは、聖教新聞や御書を開いているか、弘教に走っているか、御本尊の前に座っている姿しか、記憶に浮かんでこない。遊びや道楽というものをせず、信心一筋の父親を、若いときの私は「なんとつまらない人生だろう」と、そう思っていた。
しかし、その考えが、大きな誤りであったことを、私は後に何度となく知らされることになった。
ある時期、私は人生の横道にそれてしまったことがあった。そのとき、母はもちろん父親も、心の中ではどんなにか泣きたい思いであったかと思う。しかし、私が父親の口から聞いた言葉は、たった一つであった。「お父さんは、お前のおかげで題目をあげられる……。
そのとき、私は言いようのないショックをうけた。なぜそのように考えられるのか、とても不思議であった。
今の私は、両親の背中を優しく見守りながら歩いている。
八十になる父親も、一つ下の母も、老いはまったく感じられない。それは、つねに戦っている者の精神力であると思う。創価学会という組織の中で、広布のために生きぬいてきた両親は、決して「大切にされる老人」のままで終わっていない。今も戦っている「第三の人生」を歩んでいるのである。(四十九歳)