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日蓮大聖人・池田大作

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子どもの眼  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

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3  「ガンジーの心を青年に伝えたい」
 松岡 思いは受け継がれる――それに関連して、思い出したことがあります。インドの人権の闘士で、ガンジーの直弟子であったパンディ博士の話です。
 池田 十代でガンジーの非暴力運動に身を投じ、以後八回、延べ十年にわたる投獄などの苦難にも動じることなく、師の思想を伝えるため、不屈の行動を重ねられた方です。
 松岡 はい。以前、SGIの青年文化訪問団としてインドを訪れた青年部のメンバーに聞いたのですが、ガンジー記念館で行われたパンディ博士の講演の内容とともに、終了後の博士の振る舞いにたいへん感動した、と。
 「池田SGI会長こそ、ガンジーの精神を真に理解し、混迷する現代のなかで非暴力の思想を実践されている方です。そして、その後継者である若き皆さま方は、私にとってまさに希望の存在です」
 「夢を実現しましょう。ともにガンジーの夢を!」と、講演を結んだ後、博士は、九十歳にならんとする高齢、また独立闘争の時に受けた迫害で、足が不自由であるにもかかわらず、毅然と立ち上がり、五十五人の全団員一人一人と固い固い握手をされた……。
 その時の燃え上がるような老闘士の眼光に、団員一向、胸を熱くし、決意を深くしたといいます。
 佐々木 自身が引き継いできたガンジーの心を、後継の青年に託したい――その気迫が青年たちの心に響いたのでしょうね。
 池田 パンディ博士とは、一九九二年、インドで初めてお会いしました。
 そして、三カ月後、はるばる日本までお越しになられた博士は、私にこう言われた。
 「私の今の願いは、あと二十歳、私が若ければということです。六十五歳でしたら、池田先生の、世界不戦への戦い、非暴力の使命のお手伝いを、もっとできたのですが」と。本当に胸にしみいる言葉でした。
 また博士は私の目を見つめながら、「私はガンジーの弟子です。師の教えを叫び続けます。走り続けます。私の両目が閉じる最期のその日まで」とも述べられました。
 本物の″獅子″を見る思いがしました。博士は、インドでの私の講演(一九九七年十月、ラジプ・ガンジー現代問題研究所での講演「『ニュー・ヒューマニズム』の世紀へ」)に駆けつけてくださったこともありました。
4  「使命の人生」に″退する心″は禁物
 松岡 学会創立記念日がお誕生日で、九十九歳になる納富常一さんという佐賀県の方がおられます。聖教新聞佐賀支局の記者から、取材リポートが寄せられています。早朝五時に起床。一時間の唱題を終えたあと、自転車などに乗って五百メートルほど離れた畑で、仕事をするのが日課です。
 佐々木 老人会の友人たちが、「あんた、どこさそうつきよると(歩き回っているの)。もっと楽にしんしゃい」と言うほど高齢者教室に通ったり、活動したりと大忙しです。
 松岡 納富さんの写真撮影に行った別の記者も、明治生まれの、とても明るく気骨ある快男児に感激をしていました。百歳になろうというのに耳は達者で、語り口もハキハキし、学ぶ意欲に満ちあふれでおられる。スケジュールもいっぱいなんです。
 大学で開催されるセミナーに勉強に行ったり、老人会に行ったり、旅行にも元気に行ったりして、文字どおり飛び回っておられる。もちろん、学会活動にも喜々として取り組まれているそうです。
 池田 日蓮大聖人は、高齢であった千日尼に対し、「なはて堅固なれども蟻の穴あれば必ず終に湛へたる水のたまらざるが如し」と仰せになっている。
 これは、積み重ねてきた修行や功徳も、油断や退する心が少しでもあれば崩れ去ってしまうことを、御教示されたものです。
 「使命の人生」でありながら、途中で″もう、このへんでいいだろう″とか″そろそろ引退だ″とか、勝手に決めて、一生成仏への勢いをゆるめてしまったのでは、本当の意味での総仕上げはできません。
 命のあるかぎり、広布のために進むことが、大満足の自分自身をつくりあげる道なのです。
 佐々木 納富さんは、「老人が、若者に、前はこうだった、ああだったとかいって、訓戒を垂れてはいけない。その時代、その時代に皆生きているんだから、私は若い人の意見をいつも、うんと聞くように心がけているんです」と、言われています。納富さんの目標は、いつまでも健康でいることです。
 「健康といっても、体が丈夫で強いことだけを言っているのではありません。それもありますが、心の健康のことです。世の中のことを考え、人のためになるようなことを、やりたいと思っています。これからが、勉強ですよ」
 松岡 また、「今の時代は、指導者をもたない。また、もとうとしない。そういうなかで、池田先生が、世界から賞や学位をいただいておられることは、うれしくでしょうがない。私は、こういう偉い人の後に続いているのだと思うと、誇りでいっぱいだ」と、言っておられます。
 池田 私のほうこそ、このような方が学会を支えてくださっていることを、最大の誇りにしています。世界からの賞は、皆さま方の代表としてお受けしたものです。
 全国の多宝会、宝寿会、錦宝会の方々が、健康第一で長寿を勝ち取り、今世だけでなく来世に向かって、いや永遠の生死をふまえて、前に前に進もうと生きぬかれることを心から祈っています。
 いずれにしても、永遠に闘争です。人生も、仏法も……。闘争をやめた瞬間、人間は生きながらの″死″を迎えてしまう。そうした人生は、あまりにもむなしい。
 あの南アフリカのマンデラ大統領も、二十七年間の獄中闘争を勝ち取った。忍耐強い人が、闘争心を失わない人が、勝つのです。
 たとえ途中で敗れても、忍耐強く、闘争心を失わなければ、むしろ負けたことによって、最後は勝っていけるのです。戦いに、年齢はありません。

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