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日蓮大聖人・池田大作

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創価中学・高等学校第23回栄光祭 「一人立つ」ときに強き勇者に

1990.7.17 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

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5  心は水遠の王者として
 市民のすべてが怒った。「彼はわれわれ皆を裏切った!」。殺気だった人々が、彼の家に押しかけようとした。その時――。
 黒い布をかけた一つの柩が、しずしずと広場に運ばれてきた。そばにはサンピエールの老父が立っていた。老父は言った。
 「これはサンピエールです。息子は、こう言いました。”私は先に行くから、六人の人よ、あとに続いてくれ”。そう言い残して死にました」
 サンピユールは、ひとたび立った勇士たちを、だれひとり迷わしてはならないと思ったのであろう。だれが最初とか、だれが最後とかではなく、みずから立った”選ばれた勇士”の誇りを皆にまっとうさせたかった。そのためには、自分が、真っ先に、手本を示す以外になかったのである。
 ここに真正の「勇者」がいた――。六人の魂は奥底から震えた。そして大盤石の決意で、皆が見守るなか、町の外へと、歩みはじめた。もう何の迷いもなかった。晴ればれとしていた。姿は罪人でも、心は皇帝であった。王者であった。
 たとえ世の非難を一身に受け、牢につながれる身となろうとも、心は永遠の王者である――これが恩師に仕えて以来、貫いてきた私の不変の生き方である。ゆえに私は何ものも恐れない。
 いかなる批判と偏見、中傷と誤解が渦まこうとも、また同志すら、私の心がわからない場合があろうとも、「真実」はかならず後世に証明されると信じているからである。また諸君がかならずや証明してくれると信じているからである。(拍手)
 この出来事は、いち早く、イギリス王のもとに伝わっていた。六人の前に、王の使者が走ってきた。「まだ遅れてはおりません!」。六人は使者にそう言った。責められるかと思ったのである。ところが使者は「国王の特別のはからいで『だれの命も絶ってはならない』との命令である― カレーの町は救われた!」と告げた。
 やがて王が町に入ってきた。そしてサンピユールの柩の前に、王みずからひざを折り、その前にぬかずいたのである。敵味方を超えて、人間としての本物の戦士に敬意を表するために。こうして、一個の美しき高貴なる魂によって、カレーの町も、港も、市民も救われたのである。
 人生は戦いである。人は皆、戦士である。戦人として生きねばならない。それが生命の掟である。戦いを避けることは、それ自体、敗北である。
 しかし、戦いがつねに、華々しいものとはかぎらない。むしろ地味な、孤独な「自分との戦い」が、その九九パーセントを占める。それが現実である。
 ある場合は、人まえで格好よく旗を振ることも大事であろう。しかし、それ以上に、他の人を守るために、あらゆる犠牲を「忍耐」して、一人、前へ進む人のほうが偉大である。真の勇者は、時に、格好悪く、地味そのものなのである。
 また大勢、仲間がいる時は、だれでも勇気が出てくる。「戦い」を口にすることも容易である。
 しかし、真の「責任」をもった人間かどうかは、一人になった時の行動で決まる。
 私のモットーは、一つは「波浪は障害に遇うごとに、その頑固の度を増す」である。そして、もう一つは「一人立てる時に強き者は、真正の勇者なり」である。これは十六歳からの私の信念となっている。
 先日、関西で「ノブレス・オブリージュ」(指導者に高貴なる義務あり)のお話をした(=五月五日、創価教育同窓の集い)。その後、こうした哲学と指導者論が国際化時代には不可欠であるとの言論も、多く見られるようになった。
 それはそれとして、この「カレーの市民」は、フランス人の勇者が、イギリス王の心をも動かした歴史であり、ドイツ人の劇作家によって戯曲化されたものである。
6  今は「勉強」と「鍛え」の時代
 「個人」が、あらゆる艱難を超えて、高貴なる信念に生きぬいていく――。そこにヨーロッパの最良の伝統がある。私が、この話をする理由も、何より諸君が、個人として偉大であれ、崇高であれ、高貴であれと望むからだ。
 卑しい人間にだけはなってほしくない。浅はかな人生を生きてほしくはない。他人はどうあれ、自分は自分の信念として、偉大な自分自身の人生を創っていっていただきたい。
 集団主義の熱狂と、無責任。権威へのよりかかり。無定見に「あおる」人間に、だまされ、のせられやすい風土が日本にはある。
 そうした精神土壌とは、まったく異なる新しい人材を私は育てたい。世界的な人物を、「本物の人間」を、この学園で育てたいのである。とくに若い間は、派手な活躍にあこがれがちである。それも決して悪いことではない。成長のバネになる場合もある。また時に、広い舞台で、思いきり、あばれることも大事であろう。
 しかし、諸君の本格的な活躍の舞台は、二十一世紀である。その時に、先輩の築いた”幸福の港”を守り、責任をもって勝利していくために、今は満々たる闘志を秘めながら、じっと忍耐する勇気、勉強しぬく勇気と根性を貫いていただきたい。
 その「勇気」ある人は、いざ、みずからの”武器”をもって戦うべき時には、先陣をきる英雄ともなるにちがいない。巨匠ロダンの手で見事に魂を得た「カレーの市民」の像は、今もカレー市庁舎の前に厳然とあり、市民を見守っている。
 諸君には、これから長い長い人生がある。きょうの私のスピーチが、そのすばらしい勝利のために、何らかの糧になれば幸いである。本日は本当におめでとう。すばらしい演技もありがとう。

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