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日蓮大聖人・池田大作

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東京・創価小学校、創価中学、高等学校合… 君も青春のメダリスト

1989.9.30 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

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9  人生の長距離走で勝利を
 他の例でも「いつもより不調」と思われる時に、かえって良い記録が出ている場合も少なくない。
 私の経験でも、そういう場合はよくある。私は、決して体調の良い日ばかりではなかった。むしろ、悪い日のほうが多かった。だが、そのなかで”やりぬこう、勝ってみせる”との強い思いで戦いぬいた時、歴史に残る仕事をやり遂げることができたし、人生の「価値ある道」を切りひらくことができたと思っている。一念の力は不可思議である。マイナスをもプラスに転ずるパワーがある。
 体調の不調の時の勝利の理由をあげて「無欲の勝利」という人もいる。それはともかくとして、どんな悪条件でも、”やりぬこう”との執念と根性が、思いもよらぬ力で、日ごろたくわえた地力を爆発させることがあるものだ。決してあきらめないこと、それが新記録への飛躍台である。
 新記録といっても、なかには「自分には何も得意なものがない」という人がいるかもしれない。
 しかし、長い人生である。一生の勝負である。最後に何かで勝てばよい。人生というマラソンレースで勝利者となればよいのである。
 スポーツの記録においても、「長距離ほど記録は伸びる」という”法則”があるようだ。
 一八九六年から一九八四年までの約九十年間にオリンピックの記録は、どの程度、伸びたかを具体的に見てみると、
 「百メートル走……約二〇パーセントの向上、千五百メートル走……約三〇パーセントの向上、マラソン(四二・一九五キロメートル)……約四〇パーセントの向上」(矢部京之助『疲労と体力の科学』講談社)と分析されている。
 諸君は、かりに「人生の短距離走」で勝てなければ、「中距離走」で勝てばよい。それでも勝利にとどかなければ、「長距離走」で勝てばよいのである。
 「最後には勝つ」――この決心で、たくましく、またたくましく生きぬいてほしい。
 ともあれ諸君は、何らかの「青春の記録」をつくっていただきたい。何でもよい。自分らしい何かを打ちたてることだ。朝寝坊の新記録とか(笑い)、お母さんに叱られた記録、落第の記録保持者などというのは困るが(爆笑)……。
 輝く「人生の新記録」は、自分のためばかりでなく、多くの人の喜び、誇りともなっていくものである。
10  世界が沸いたアベベの勝利
 ”裸足の英雄”と言われたエチオピアのアベベ。彼は、オリンピックのローマ大会(1960年)と東京大会(1964年)の二回、マラソンで連続優勝している。かつてだれびともなしえなかった偉業である。東京大会でも、日本をあげての拍手喝朱をあびたが、初優勝のローマ大会は、まさに劇的であった。
 エチオピアは、かつて、イタリアの独裁者ムッソリーニに征服された(1936年〜1941年)。皇帝はイギリスヘ、涙の亡命。オリンピックは、その二十四年後である。アベベは、この皇帝の親衛隊の一兵士であった。かつて皇帝を追いだしたイタリア。その首都ローマでのオリンピック。アベベには”この地で、皇帝の無念の思いを晴らしてみせる”との深い決意があったにちがいない。 
 アベベは、ローマで見事に優勝した。勝った。しかも「オリンピックの華」マラソン競技である。世界中が沸いた。アベベは言った。「私は皇帝のために走った」「わが祖国がはじめて手にしたこのメダルは、皇帝に献上したい」と。人々は、その心情、祖国愛に涙した。「エチオピアはその一兵士によって、ローマに雪辱した」と、ある新聞は書いた。
 アベベ「一人」の勝利は、エチオピアの「すべての人々」の勝利であった。「一人」が立てばよい。「一人」が勝利すれば、それは「全員」の勝利へと通じていく。諸君は「その一人」となっていただきたい。
 自分なりの「青春の金メダリスト」「青春のチャンピオン」「トップランナー」、真の「勝利者」の栄冠をつかんでいただきたい。諸君が、その”挑戦また挑戦”の道を歩みゆくことを私は信じ、祈っている。(拍手)
 最後に、どうか、お父さん、お母さんに、くれぐれもよろしくお伝えください、と申し上げ、本日のスピーチとしたい。

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