Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

創価学園1 中学校・高等学校[昭和62年度]

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

前後
4  創価中学・高等学校第二十回栄光祭〈昭和62年7月17日〉
 自身を鍛え遥かな峰を登れ
 創立二十周年の歴史に残るきょうの栄光祭は、深く私の胸に入り、刻みこまれました。また、きょうの日は、私が今から三十年前、無実の罪で捕らえられ、出獄した記念の日でもあります。その三十周年と学園の二十周年の栄光祭とが重なり、忘れられない日となりました。
 きょうの演技も、気迫のこもった感動的な、また、生命の躍動したダイヤモンドのごとき、魂の光輝く祭典でした。
 この創価学園からは、あらゆる分野に、優れた社会貢献の人材が出ています。私は、このことは日本一、世界一だと思っています。これからも皆さんのために、諸君の「遥かな峰」への道を少しでも切り拓くために、世界中を回りにまわる決心です。
 三年前のことになりますが、鳥取を訪れたときに、今は外交官となっているある卒業生のお母さんにお会いしました。そのお母さんは、「かつて、幼い子どもたちと一緒に、鳥取の海岸で入水自殺しようと考えたこともあった。しかし、子どもは学園のおかげで立派に成長し、外交官にもなりました。苦しみばかりの一家が、今はこんなに晴れやかな、幸せな家庭になりました」と涙ながらに語ってくれました。私はこの話を聞いて、「ああ勝ったな。本当によかったな」と思いました。
 諸君も、今は家庭や学校で大変なことがあるかもしれない。勉強、勉強で苦しいかもしれない。しかし、今の時代に懸命に勉強し、自身を鍛えぬいたか否かで、四十代になって歴然と差がでてきます。今、わがままをいい、堕落し楽をしていては、後になって自分が苦しむことになる。
 どうか諸君は、後になればなるほど高く立派な「栄光の峰」「幸せの峰」へと到達する人になっていただきたい。
 皆さんの成長を心から祈っています。きょうは本当におめでとう。
5  創価中学・高等学校 第一回潮流会代表者懇談会〈昭和62年9月19日〉
 君たちの舞台は二十一世紀
 今、私がもっとも大切に思い、真剣に考え実行しているのは、二十一世紀への人材づくりです。未来のために、力ある人材をいかに育て、薫陶していくか。この一点に、私は全魂をかたむけ、力を尽くしています。そのなかでも、創価学園こそ、社会のあらゆる分野に、有為な逸材を輩出しゆくもっとも重要な人間形成の庭であると思っています。
 ヨーロッパにおけるオックスフォード大学、ケンブリッジ大学や、日本における東京大学、慶応義塾大学、早稲田大学などの有名大学は、年月とともに人材輩出の流れを太くし、その伝統も確実なものとなってきました。しかし、国家であれ、また大学であれ、その伝統と権威の厚みが増すにつれ、当初の活気と躍動を忘れて、発展の気概を失いがちになってしまうのがつねです。
 これに対して、二十周年を迎えた学園は、いわば、二十歳の青年です。これからの発展と躍進が本当に楽しみでなりません。従来の日本の大学は、十九、二十世紀の人材を送り出してきました。わが創価学園は、二十一世紀を担う人材輩出の学校です。私が創価大学、創価学園を創立した意義もここにありました。
 戸田先生は「学校は、教員ではなく、そこに学ぶ生徒、学生の優劣で決まる」と教えてくれました。緒方洪庵の適塾も、吉田松陰の松下村塾も、そこから時代を担う数人の精鋭が輩出したことから、社会の信用を勝ち得ていったのです。学園も、第一期の基盤は完成し、未来への布石も着実にできあがっています。これからの第二期の建設は、二十周年の佳節に学園に学ぶ諸君の使命です。
 諸君の時代には、勉学以外に心がとらわれる場合も、多々あるでしょう。しかし、社会の流行に心を奪われて、基本である勉学をおろそかにしてはいけません。三年、あるいは六年間の学業を立派にやり遂げて、社会の人材に成長し、みずからの人生を見事に飾っていってください。
6  関西創価中学・高等学校第六回健康祭〈昭和62年9月23日〉
 確かな基礎築き人生の勝利者に
 きょうの第六回健康祭は、本当に楽しく有意義で、学園に、またすばらしい歴史をつくったものと思います。学園では、これまでにも多くの人材を輩出してきました。社会の各分野で、人材となって活躍することも大事です。それとともに、正義の人、すばらしき人格の人、親孝行の人、そして負けじ魂の人が、人間として偉大な人なのです。
 きょうの競技では、負けた人もいるでしょう。しかし、それがすべてではありません。何らかの分野で勝ち、「人生の勝利者」となっていけばよいのです。諸君にとって、学園時代は基礎の時代です。建物でも何事でもそうですが、盤石な基礎がなくして、立派なものは決して築けないものです。と同じように、盤石な基礎を築くことこそ「人生の勝利者」への道であるのです。
7  第二回小中高合同体育大会〈昭和62年l0月10日〉
 瞳輝かせ自身の完成ヘ
 本日の競技で、諸君の「真剣」そのものの姿に心打たれました。今まさにスタートしようとする姿。また、バトンタッチを受けようとするときの表情。負けまいと一生懸命走っているときなど、「真剣さ」に貫かれた諸君の姿は、輝くばかりに美しい。現在の日本では、社会の繁栄とともに、人々の瞳から「輝き」が失われつつあります。しかし、きょうの諸君の、きらきらと輝く瞳と「真剣さ」に満ちた姿に、希望の未来を見る思いがして、私は大変にうれしく思います。どうか、この「真剣さ」を失うことなく、勉学やみずからの人生の建設に進んでいただきたいと思います。
 ところで、音は学園周辺にも、今よりももっとたくさんの稲穂が実っていました。同じ稲であっても、実る時期の早い「早稲」と、遅い「晩稲」があるように、諸君のなかには、今は勉強が得意な人もいれば、不得意な人もいると思います。また、運動に秀でた人もいれば、そうでない人もいるでしょう。しかし「負けじ魂」と使命感、そして、何があっても生きぬいていく強い精神力があれば、早い、遅いの違いはあれ、稲がかならず実っていくように、すべての人が、それぞれの使命の庭で、自分らしい「完成」を見ていくことができるものです。
 私も、若いころには体が弱く、家も貧しくて、教育環境にも恵まれなかった。しかし、前進の息吹と使命の道を忘れることなく、今日まで「栄冠」の道を歩んできたつもりです。
 私はこの学園を創立しましたが、創立者の思いというものは、創立者でなければわからないものです。私は創立者として、諸君にだれよりも深く期待し、見守っているつもりです。諸君が元気で成長してくれれば、これほどうれしいことはありません。
 お父さん、お母さんにとって、私立の学校へ通わせるということは大変なことでしょう。しかし、長い目で将来を見つめた場合には、諸君が成長して、お父さんやお母さんに恩返しをしていくことになります。私は、それを確信しているし、また安心して見守っています。
 わが創価学園も創立二十周年を迎え、この二十年間に多くの人材を輩出してきました。今後、諸君もこのあとに続き、社会貢献の人材に成長されることを確信しています。
8  創価中学・高等学校 創立二十周年記念式典(メッセージ)〈昭和62年11月17日〉
 創価の庭で黄金の青春を
 創立記念日を飾る祝賀の集い、本当におめでとうございます。
 創立二十周年の佳節を刻む東京校、十五周年を迎える関西校、ともに二十一世紀のために、私が創立した学園であります。
 諸君の先輩たちも、今や八千七百名を超え、社会で、また世界のあらゆる分野で、「何のため」という原点を忘れず、立派に成長し活躍しております。創立者として、これ以上の喜びはありません。
 私は、今日まで、わが学園の確固たる伝統を築き上げてくださった教職員の皆さま方、ならびに陰に陽に応援してくださった諸君のお父さん、お母さん方に、心より感謝申し上げたい気持ちであります。
 今後とも、何度も足を運び、大事な、そして大切な諸君と語り合い、成長の姿を見守っていきたいと思っております。また、諸君、ならびに後輩たちのためにも、さまざまな環境の整備や設備の充実に全力をあげていく決心です。
 「真金」は何ものにも朽ちず、焼かれてなお、真の輝きを失わないものであります。どうか諸君は、この創価の庭で思う存分、勉学に励み、自身を磨きながら、また学園生活を楽しみながら「黄金の青春」を謳歌していってください。
 未来へのすばらしき旅立ちにあたり、諸君の、堂々たる人間王者の指導者としての、さらなる前進を祈りつつ、私のメッセージとさせていただきます。
9  創価中学・高等学校 第十八回卒業式〈昭和63年3月16日〉
 わが青春の航海を勝利で飾れ
 早春の光に満ちた、晴れやかな卒業式、おめでとうございます。まさに、諸君の若々しい生命ににも似て、一切が伸びゆく季節であります。このときにあたり、東京・武蔵野と関西・交野の地から、新しき世紀の大空へ巣立ちゆく、わが愛する東京校十八期生、関西校十三期生の前途を、心から祝福したいと思います。
 またご父母の皆さま、本当におめでとうございます。諸先生方、大変にお世話になりました。ありがとうございました。
 学園というこのすばらしき「港」より、諸君は本日、晴れがましく人生の現実の大海原へ、船出していく。その出発にあたり、私は一言『わが青春の航海を勝利で飾れ』とはなむけの言葉を贈りたいと思います。
 イギリスのダーウィンといえば、「生物学のニュートン」とも呼ばれ、十九世紀を代表する大科学者であります。有名な『種の起原』をあらわし、進化論を生み出したことは、諸君もご存じの通りであります。
 科学の分野はいうまでもなく、広く人類の思想にまで新たなる世界を切り拓いた、このダーウィンの生涯を決定づけたものは何か。それは、青春時代の一航海であったといわれています。ケンブリッジ大学を卒業したダーウインは、尊敬する先生のすすめもあり、地質調査のためにビーグル号という船に乗り込みました。
 そして五年間にわたり、南アメリカ大陸、太平洋諸島、ニュージーランド、オーストラリアなど世界を一周し、観察と研究を続けたのであります。
 それは、決して楽な航海ではありませんでした。現代と違って、船の装備も十分ではありません。そのうえ、もともと体が丈夫ではなかった。また、ひどい船酔いが彼を苦しめたのであります。途中で船を降りて、懐かしい家族や友人の待つイギリスに戻りたいと思ったことも、一度や二度ではありませんでした。
 しかし彼には、人間として、科学の徒として、たとえわずかでもよい、何らかの新しき創造を科学の世界に残したいという、炎のごとき情熱がありました。その情熱が、くじけそうになる彼をつねに励ましたのです。この「一念」の力、決意と使命感は、人生万般に通じる道理です。
 つらいといえば、まことにつらい、その一日一日、ダーウィンは、大いなる自身の目的を胸に秘めつつ、一歩もひかなかった。「自分が決めたことだ。妥協しては終わりだ」、この決心で頑張り通した。苦しいときに妥協せず、わが信念を貫けるかどうか。ここに、偉大な人生となるかどうかの分岐点があるのです。
 彼はたくましく、そして朗らかに真剣なる努力を積み重ねました。この「朗らかさ」ということもまた、人生の力の一つであると思います。
 さて、このときダーウインがみずから苦労して身につけたものは、たんに研究方法だけではありませんでした。すなわち、長く苦しい航海にあって、快活なる忍耐力、自発性、また、わがままと戦い、労苦をいとわず、すべてにベストをつくす姿勢、さらには人間を見る眼等々、一切が彼のかけがえのない宝となったのであります。後年、彼は、この航海こそ自身の心の真の訓練であり、教育であった、としるしていることからもよくわかります。
 こうしてダーウィンは、青年時代、みずから勝ち取った航海を通して、あの進化論という壮大なテーマを見いだしていきました。そしてさらに、そのテーマを生涯かけてどこまでも探究し、完成させていったのであります。
 その彼の底力は、かの航海で、だれも注目せず、だれも知らないうちに、養われたのであります。この一点を見のがしてはならない。
 彼が、その青春の結実として『種の起原』を世に問うたのは、ちょうど五十歳。
 その学説があまりに革命的であっただけに、当然、猛烈なる反対もありました。いつの世も、あまりにも先駆的な思想は、かならず保守的な世間の反発をうけるものであります。しかし、ダーウィンは、そうした世間の野誉難蛾に流されませんでした。みずからの信条を堂々と貫き通しました。
 彼は、みずからの歩んだ道をふりかえって、「私は、名声を得るために自分の道から一インチたりともはずれたことはなかった」(『ダーウイン自伝』ノラ・バーロウ編、八杉龍一・江上生子訳、筑摩書房)と胸を張っていいきれるだけの人生を送りました。まことに味わい深い、また共感を強く覚える言葉であります。
 そこに私は、青春の航海でつかんだ「エンジン」と「羅針盤」をいだいて、わが信ずる道を生ききったダーウインの偉大さを見る思いがするのであります。
 諸君にとって、まずこれからの十年間は、みずからの生涯を決定づける、わが「青春の航海」であるといってよいでしょう。
 その前途には試練の嵐も吹き荒れる。激しい波に翻弄されるような日々もあるでしょう。
 反対に、地道な日々の繰り返しが、まるで退屈な航海のように、あきあきとしてくるときもあるにちがいありません。あるいは、他人の姿を羨ましいと憧れたり、世間の華美な流行に目を奪われたり、また空虚な気持ちになるような場合もあるかもしれません。
 ゆえに、この振幅の激しい、また周囲の環境に流されやすい青春期にあって、学園時代に若き生命に刻みつけた「何のため」という問いかけだけは、どうか手放さないでいただきたいのであります。
 お金があるからといって、かならずしも幸福ではない。お金があるために不幸になった人はたくさんおります。人気があるからといって、かならずしも幸福とはいえません。人気を失った後、普通の人以上の苦しみを感ずる場合があまりにも多いからであります。また美貌であり、優秀であるから幸福とはかぎりません。そのために不幸になる場合も、多々あります。
 物事はさまざまな側面をもっております。一面的に見ただけでは、真理を見のがしてしまう場合があります。反対の方向から見た場合に、初めて見えてくる真実もあります。
 ゆえに、人生においては、一つの方向だけから見るのではなく、逆の方向からも見つめることのできる余裕が必要であります。
 諸君は、尊き青春の一日一日を大切にしながら、みずから選んだ人生行路にあって、地味であってもいい、どこまでも自分らしく、何らかの新しき創造を、人生の価値を、すばらしき青春の思い出を生み出していってほしい。そして、そのなかから人生最終章の勝利の基盤を築き上げていただきたいのであります。
 私は創立者として、諸君の行く手に立ちはだかる暗夜の海にも、懸命に灯台の光を送り続けます。それが創立者の心であります。
 現在、学園の出身者は、日本中のいたるところで大活躍をしております。世界の各地でも、多くの先輩が活躍しております。学園出身と聞くと、私の心は躍ります。ここにもいたか、あそこでも活躍していたかと、涙が出るほどうれしい。
 学園出身の弁護士も増えました。医師も外交官も多くなった。会社の重役もいる。プロ野球の選手、サッカーの選手もいます。芸能界で、また、芸術家として活躍する人も現れてきた。世界を舞台に貿易関係で活躍する人、病める人の味方として白衣の天使として活躍する人、マスコミ界や航空関係で活躍する人もいます。幼稚園、小学校、中学校、高校、大学の教員として活躍する人もいます。その他、あらゆる方面で、この学園から社会に陸続と人材が巣立っております。
 このように学園生の活躍の舞台は、夏空に大いなる希望の雲が湧き出るごとく、年ごとに無限に広がっております。諸君もまた、その限りない舞台で、思う存分に「わが道」を生きぬいていっていただきたいのであります。
 最後に、わが愛する、そしてまた、私の命であり、魂である学園生諸君の健康と長寿と栄光を心より祈り、祝福のあいさつといたします。

1
4