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日蓮大聖人・池田大作

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創価学園1 中学校・高等学校[昭和58年度]

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

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9  創価中学・高等学校 第四回寮生・下宿生懇談会〈昭和59年1月9日〉
 努力の中にこそ栄冠
 新春恒例の箱根大学駅伝で、早稲田大学が三十年ぶりに完全優勝を果たした。その折、早稲田大学の中村清監督がいっていた言葉に、大変に感銘した。それは「何事にせよ、努力にまさるものはない」との言葉であった。勉強にあっても、心身の鍛えにあっても、努力を忘れてはならない。社会においても、一流といわれる人、人生の勝利者となった人、また何らかの栄冠を勝ち取った人には、すべて、人一倍の努力の積み重ねがあるものです。栄光の裏に秘められた、深い努力の姿を知らずして、表面の華やかな姿のみを追うことは、じつにむなしいことです。
 「努力」――これ以外に人生の栄冠も、進歩も、向上もないといってよい。努力の人こそ「進歩」「向上」「栄冠」の人です。努力の人は、苦難や不幸から逃げることなく、それらを進歩、向上へと結晶させていこうという勇者の歩みをしている、真金の人です。
 努力を放棄した人が、いくら口達者で、利口げにいいつくろっても、それは、敗北の姿を自己正当化しているにすぎないといってよい。批判、文句だけで努力を忘れた人は、空虚な人といえるでしよう。
 フランスのある著名な人から、数年後に迎える「フランス革命二百年」に関して、手紙が寄せられました。それは、
 「革命には政治革命、産業革命、科学革命、宗教革命など、さまざまなものがあった。それらは、それなりの新しい世界を開いた。
 しかし、科学革命が原水爆を生んだごとく、革命が新たな矛盾、新たな不幸を生み出していることも、歴史が証明してきた事実である。それぞれの革命により、進歩、発展を願った人類が新しい苦難の道に入っている。
 そのなかで、これまで残されており、今、もっとも希求されているもの、それは『人間革命』である。言葉をかえれば、『精神革命』である。それを仏法に期待したい。仏法を基調とした人間革命。それが、世界の希望である」との内容でありました。
 私もこれまで、世界中に「人間革命」の道を切り拓いてきました。これからは、この学園で学ぶ諸君があとを継いで、この真実の大道を歩み育っていっていただきたいのであります。
10  創価中学・高等学校 第十四期生卒業記念撮影会〈昭和59年1月30日〉
 負けじ魂で栄光の人生を
 三年間、また六年間、本当にご苦労さまでした。私は、このなかから二十一世紀の社会の大人材がたくさん出ることを確信しています。私は、諸君の栄光の人生を心から祈りたい。諸君の栄光の人生こそ、私の人生の勝利でもあります。社会へ出れば、それぞれ進む道は違うかもしれませんが、青春の原点であった学園の「負けじ魂」だけは忘れずに進んでいただきたい。
 きょう、記念撮影した諸君は、今までの学園の歴史においても、名実ともにトップクラスの集まりともいえる不思議な卒業生であり、「栄光の人」であると、私は信じています。
 大きな嵐の中で、普通ならば他の学校に入学していたかもしれないのに、勇んで、みずから求めてこの学園に来てくださった。諸君こそ、真の「勇者」であると確信しております。
 社会的にも正義を貫く人は、つねに苦しめられながら、また、虐げられながらも、それに耐えぬいていくものです。それゆえに、偉大であるといえるのです。歴史的にも、さまざまに中傷、誹謗されながらも、それに耐えた人が、本当の意味での「賢人」であるといわれているのです。
 正しい人ほど、先見性をもつがゆえに、その時代の人々からは理解されがたいものです。しかし、その人の歩みが、人々のためであり、人類にとっても正しい歩みであったということは、かならずや何百年か後に、証明されることでしょう。またこれは、歴史の必然でもあります。
 ここで諸君にお願いしたいことは、学園生となりゆく後輩を、小学校、または中学校のころから見つけだし、その人を学園に入学させていただきたいということです。小学校から中学校へ、また中学校から高校へと大きな流れをつくっていただきたい。この人こそ自分の誇るべき後輩である、という人を、学園に送っていただきたい。
 本当は、卒業生の一人一人と握手をしたいけれども、諸君の胸の奥と固く握手をしていることを知っていただきたい。

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