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創価学園1 中学校・高等学校[昭和50年度]

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

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14  創価女子高等学校 第一回卒業式〈昭和51年3月13日〉
 生涯の友として美しき信義を
 本校第一回の栄えある卒業式、まことにおめでとうございます。私も本校に関係が深い一人として、本当に喜びにたえません。心からお祝い申し上げるしだいであります。また、ご父母の皆さま方、その愛するところの娘さんが本日、見事に成長して、この学舎から巣立っていかれます。本当におめでとうございます。
 また、牧野校長先生をはじめとする教職員の皆さま方には、多年心をこめて証散にあたつてくださった労に対し、心から尊敬申し上げ、かつ感謝を申し上げるしだいであります。本当にありがとうございました。また、ご繁多のなか、ご来校くださったご来賓の先生方、そして本校のために土地を提供してくださった地元の関係者の方々に、厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
 今回は、本校といたしましては、第一回の卒業式であります。何事もそうでありましょうが、「最初」というものは、その世界にとっては格別の意義をもつものであり、大変に記念となるものであります。本校の教育機能は、本日のこの卒業式を経験することをもって、初めて首尾一貫したわけであります。これによって、創価女子学園の歴史、あるいは伝統というものの第一の基盤ができあがったといえるのであります。願わくは、この基盤をふまえて、これからますます力強き伝統、光り輝く校風を建設され「わが国の教育界に本校あり」と、万人から認められるほど発展、繁栄されていかれますことを、心から祈ってやみません。
 以上申し上げた点につきましては、卒業していく皆さん方も、心に刻んで忘れることなく、どうか生涯がけて本校を愛し、陰に陽にこの母校を応援してください。お願い申し上げます。
 また、皆さんは、成長期の貴重な三年間を、この学園で努力してこられました。しかしながら、その努力は、決して自分一人だけでしたのではありません。つらいときには励ましあい、楽しいときには手を取って喜びあい、大勢のクラスメートが、そうした友愛の連帯のなかで努力を成功に結びつけつつ、成長してきたのでありましょう。すなわち、得がたい友達であったわけであります。人生においては、人間性、人格、そうしたものが何よりも大事だということ、それを観念ではなく、互いのふれあい、体験を通して身をもって会得できたことは、これは本当にすばらしいことであると思うのであります。そういう尊き学友同士であります。
 ひとつ、理屈ぬきで、生涯の友としての美しき信義を貫き通していただきたいと思うのであります。信ずるということ、信頼するということ――これこそが人間にとっての大いなる力である。私は、これを卒業のはなむけとして、皆さんにお贈りするものであります。
 これからは、進学する人もあれば、就職する人もいる。進学したからといっても、四年さきには就職しなければならない。就職したからといっても、自分自身の学問をやめる筋合いのものでもない。すなわち、就職する人も、あくまで社会にあっても勉強すべきであるし、また、進学した人も、かならず就職しなければならない。結局、人生の大綱においては、違っていないということを知らなくてはなりません。
 あるいは仮定の話として、一年や二年、大学進学への挑戦を余儀なくされる人があったとしても、それでどうということはありません。「災いを転じて福となす」ということもあるのです。結局は、男性は男性なりに、女性は女性なりに、その大筋を踏み違えることなく努力していきさえすれば、いつの日か福運もつき、幸せになっていくことはまちがいないわけであります。ひとつ、皆さんはそういうつもりで、新しい人生へ明るく、そして焦らず、勇気をもって前進していってください。
 卒業生の皆さんは、「蛍会」を結成されました。また第一回の卒業生のご父母の皆さま方の真心で、本校の中心の地に「蛍乃池」をご寄贈賜りました。ここに厚く御礼申し上げますとともに、「蛍会」の卒業生の皆さんは、毎年一回はかならずこの「蛍乃池」に集って、さまざまなことを語り合っていただければ、これ以上の喜びはないと存ずるものであります。
 ともあれ、学生生活だけに限っていいますと、世間の通念の一つにこういうことがあります。それは優等生は優れたものであり、その他はたいしたことはない、という考え方であります。私はこういう考え方は、あまりにも短絡的で、大きな過ちをはらんでいると思えてならないのであります。どんな高校であれ、大学であれ、いわゆる優等生といわれる人は、ほんの数人、一握りの数でしよう。また、そのようにされているようである。それはそれで、立派なものであるということは否定はできませんが、だからといって、その他はたいしたことはないという考え方は、私はまちがいであると思う。
 わが国全体を見てみましょう。いろいろな欠点や事件はあったにせよ、敗戦からわずか三十年で、とにかくこれだけの国、これだけの社会になりました。ということは、いわゆる優等生だけの力で、ここまできたのでは決してないのであります。みんながそれぞれ優れていたからこそ、こういうふうになったのではないでしょうか。
 人は、それぞれもって生まれた得手、不得手があります。要は、苦手な部分に負けることなく、得意な部分を存分に伸ばしていくこと――それが大切なことであると思うのです。そういう人こそ真に優れた人である、いわゆる、実社会の立派な優等生であると思うのであります。学校ばかりではありません。今、申し上げた原則というものは、実社会のなかでも、すべて同様であると、私は考えております。どうか皆さんは、そういうつもりで、決して卑屈にならず、今後のみずからの道を自分らしく雄々しく開拓していってください。
 これからの長い人生においては、健康が大事であります。どうか、自分の体力の程度を見合わせて、それぞれにしっかり健康をたもちながら、決して悲観的にならず、明るく生活していってください。「身体も健康に、そして心も健康に」と、私は心からそのように願うものであります。そして、全魂こめた拍手をもって、第一回の卒業生の皆さんを、この会場から送り出したいと思うものであります。
 どうか、在校生の皆さん方も、きょう旅立っていくこのよき先輩方を、絶大なる拍手をもってお送りしてください。以上をもって私の所感とさせていただきます。
15  創価高等学校 第六回卒業式(メッセージ)〈昭和51年3月16日〉
 「境智行位」で栄光の座を
 私は今、岡山県におります。この岡山の地より、はるか諸君の卒業式を見つめながら、万感こめてあいさつをさせていただきます。
 陽春三月のこの日、親愛なるわが学園の卒業生諸君、多年の研鑽の功なって晴れのご卒業、まことにおめでとう。私は、諸君にもっとも深くかかわりあいをもった一人として、まことに喜びにたえません。心からお祝い申し上げるしだいです。
 また、父母の皆さま方、私は、ただいまの皆さま方の親心、うれしさのなかにも深く複雑な感慨を、そのまま一緒に共感させていただいております。本当におめでとうございました。さらに、校長先生をはじめ教員、職員の皆さま方、そして下宿生の面倒をみて、裏方の推進役を引き受けてくださった皆さま、卒業生諸君をよくもここまで、ご訓育くださいました。改めて厚く御礼申し上げるしだいです。本当にありがとうございました。
 それが天職とは申せ、連々たえざるご努力は、じつに容易ならざるものではなかったかと思うのでありますが、これからも、なおなお、よろしくお願い申し上げるしだいでございます。今後、先生方も関係者諸氏も全生徒も、それに不肖私も、みな打って一丸となって全校あげて、さらにこの学園の健全なる発展に努めてまいりたいと思いますけれども、なにとぞよろしくお願い申し上げます。
 巣立ちゆく卒業生諸君に申し上げます。世に「故郷忘じがたし」という言葉があります。世の荒波にもまれて、年とともに故郷懐かしの思いがつのるという、当然なる人間心理をいいあてた言葉であります。この学舎は諸君にとって、まさに「精神の故郷」の思いがするところではないかと思う。将来、いろいろと青春を発散したこの学園を、懐かしむようになることはまちがいないと思うのであります。
 そこで私は諸君に対して、もう一歩深く立ち入った人間愛の自覚を提唱したいのであります。それは「魂魂をこの土にとどめて」というように、永久に自分の魂を学園にとどめるという点であります。ただ、懐かしむだけなら、自分と対象とのあいだに、まだ距離がある関係でありましょう。それに引き換えて、魂をとどめてある関係ならば、距離はまったくなくなって、それは自己と対象とが、いつでも一体に同化している状態であります。万事、断絶だらけの現代において、見事に断絶を乗り越えた境涯であります。そういう信念の持ち主であれば、若輩ながら大人にも勝る立派な人物ではないかと思うのであります。それならば、まったく同じ労によって、ともに机を並べて苦楽を分かち合った学友同士も、生涯にわたって、ますます連帯の絆が強まっていくと思うのでありますが、諸君、いかがでありましょうか。
 諸君、思い出多いこの武蔵野の自然は、まことに平和であります。昨今の世相などウソみたいであります。だが、実社会の現状というものは、なんともとげとげしいありさまで、諸君も十分にご承知のとおりであります。
 不況のあおりが学生の世界まで押し寄せて、今年の大学卒業生は、三割強が就職できないという悲哀を余儀なくされているそうであります。それを敏感に感じ取った大学受験生たちは、有力な大学の、頼りになりそうな学部へ、一斉に押しかけていった。そのため、そうした大学の学部の競争率は、軒並み昨年の倍から倍以上にハネ上がったとも伝えられております。まったく大変な話であり、世相であり、時代であります。
 それに引き換えて、皆さん方は全員が進学志望で、その多くは創価大学へ推薦入学ということになっております。全国の受験生が精根をすり減らし、青春をすり減らしているのに比べれば、生命力に余裕をもち、バイタリティー、千不ルギーをより多くたもっていけるということは、大変な未来への財産であると思うのであります。そこで私は、その有利さを大学へ行ってから、有効に利用してほしいと思うのでありますけれども、どうでしようか。
 文化、つまリカルチャーという語の原義は、耕すという意味であります。諸君は、諸君が今もっているこの有利さを生かして、大学四年のあいだに、存分に自分自身を耕して、きたるべき社会進出のときにそなえてくだされば、私は本当にうれしく思います。
 ともあれ、諸君は、福運をもっているのであります。ひとつ、肝っ玉を大きくして、ここから巣立っていってください。
 東洋古来の哲理の一つに「境智行位」という経験則があります。この本来の意味、解説というものは、ここでは申し上げませんが、今後の諸君にあてはめて、ひとこと、門出のはなむけといたしたいと思います。はじめの「境」とは、諸君が取り組むべき大学生活の全体であり、せんじつめれば、まさに自分自身のことであります。「智」については、邪智を排して英知を光らせていく。「行」については、純真な情熱を燃やして体当たりし、もって「位」においては、どっしりとした栄光の座を勝ち取らんことを、心から祈るものであります。
 さて、在校生の諸君、諸君のよき兄だったたくましい先輩たちが、ただいまこの場から未来へと旅立ってまいります。今までの友誼と好意の指導に万感の謝意を表明しつつ、大いなる拍手をもってお送りしてあげてください。
 終わりに臨んで、卒業生はもちろんのこと、全学園の皆さま方のご健康、ご多幸を心からお祈り申し上げるしだいであります。ご来賓の皆さま方におかれましては、ご多忙のなかわざわざおいでいただき、厚く厚くこの地より御礼申し上げます。では卒業生諸君、いつまでもお元気で。

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