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日蓮大聖人・池田大作

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後記 「池田大作全集」刊行委員会

「価値の日々」「若き友へ贈る」「わが友へ」「友へ贈る」(池田大作全集第38巻)

前後
2  贈言の対象者は、その多くが未来を目指す若き広布の友である。
 昼夜を分かたず連続する激務ーーそのなかにも、著者は寸暇を惜しみ、愛する青年を想い、贈言の筆を運び続けた。誰人の自にも触れることのない激闘であった。
 昭和四十五年から昭和五十三年、この八年ほどの期間にしたためられた言葉が、『若き友へ贈る』ほか二巻の贈言集となったのである。
 まさしく各巻ともに、一人の仏法者の生命を賭した実践から生み出された人生の詩であり、どこまでも友を思う真心の結晶そのものであるといって過言ではあるまい。
 真心が触発するものは真心である。いつの時代も、この一点こそがつねに人を蘇生させ、あふれる勇気や輝く希望の源泉となる。
 断絶の時代、不信の人間関係、無関心、無気力の世代といっても、もとをただせば、すべては人間の砂漠化した心、温かみを失って凍りついた現代人の精神構造から生じている。
 熱き真心の絆を強め、美しい心と心を結び合わせながら、真実の人関連帯の輪をつくりあげていくことこそ、なすべき現代の急務ではなかろうか。
 それはまことに困難をきわめる課題であろうが、本書の贈言一つひとつの放つ光彩が、その可能性を見事に浮き彫りにしていることを、読者は感じとるに相違ない。
 本書に込められたものは、かくして時代社会の光源となる、”新鮮にして強い精神の発露”であることをまず訴えておきたいのである。
3  また、さまざまに揺れ動く青年の胸中、また人間苦の本質に慈愛の光を当てながら、適切無比なる一言をもって、苦悩打開の方向を示唆し、かつ勇気と知恵を触発する心の労作業は、まさに著者ならではのものであろう。
 贈言の一つひとつには、友の幸福を願う深い思いが織り込まれ、友の成長を祈る叫びも込められている。たとえば、
  愚直な人生でいいと思う
    しかし 愚劣は嫌いだ
   炎熱に大樹が
    黙々と天空に聳ゆる
     あの愚直な姿勢も忘れまい
 との一言があるが、ここに謳われた凛然たる正義感、黙々と事を遂行しゆくすがすがしい愚直さは、まさに青年の特権であり、青年としてあるべき態度に違いない。
  弱々しいように僕はよく見られるがーー
   暴風雨の時の前進の姿を
    見てくれと僕は言っておきたいのだ
 誰しも人生の途上において何度かは大きな節目ともいうべき時にぶつかるものである。その時、一人立つ気概と勇気をもって乗りこえてこそ、大きく成長することができるであろう。
4   日が昇る 月が静かに光る
   君よ 決して懊悩の自身に負けず
    自己の城門を大きく開いて
     別世界と交流したまえ
 青年の胸中は、たしかに動揺の絶えない日々であり、人に語れない痛みをもつことも多い。懊悩果てしない自己となり、苦悶にゆがむ時もあろう。
 しかしこの時こそ自己の殻に閉じこもることなく、友との交流が図れれば、そこに思いもかけない創造の泉が湧きあふれ、希望の太陽が輝くことであろう。
 とまれ燃焼する太陽、静寂なる月光ーー。その双方の調べの巧まざる調和ーー著者は真摯な青年求道者の内なる心を、かくもロマンにあふれた世界として描き示した。
 あげれば際限もないが、このほかにも「友情について」「青春とは」「革命の心」「日常の戦いのあり方」等々、あらゆる人生の課題について、ある場合は淡々と、また春風のような微笑のなかに、時として秋霜のきびしさをもって簡明率直に謳いあげている。同じ広布の友といっても、立場や個性、生き方や発想等、それぞれ様々である。本書の言々句々は、それらの相違を越えて人々の胸深くしみとおり、価値創造をもたらす源泉となっている。
 指導理念は崩壊し、哲学不在といわれる混迷の現代にあって、これはまことに稀有の事実といってよいであろう。
5  必死の指導者と、数多くの友との間に結ぼれた強靭なる心の絆ーー。
 この絆をとおして、清らかな信仰の水脈、若々しい建設のエネルギーは、あまたの生命に余すところなく伝えられてきたのである。この作業は、多事多難な時であればあるほど、むしろ躍動的に続けられていた。若き友らも著者の励ましに全魂をもって応え、各々の使命のままに、時代の幕を開く行動で、輝く実証を示したといえよう。
 仏法の伸展は、今や海外百十数カ国にまで及んでいる。
 しかしこの事実は、決して単なる組織の力などで出来あがったものではないであろう。一人の指導者に呼吸を合わせた若き実践の生命ーーその生きた絆こそが、広布の生命線であり、実質的な推進力であったことに思いを致さなければなるまい。
 本書が一人でも多くの人々に愛読され、そこから大きく力強い信仰の息吹が再び湧きあがることを確信するものである。

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