Nichiren・Ikeda
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昭和三十四年(一月)
「若き日の日記・下」(池田大作全集第37巻)
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4 一月四日(日) 晴
生涯で、最も静かな正月。
午前中、子らと団らん。
正午より──荻窪のM宅へ挨拶に。
帰り、青年部首脳たちと、新宿にて会食、別れる。
夜、読書──和辻哲郎著『倫理学』。
二時過ぎるか──就床。
5 一月五日(月) 晴
午前、在宅。
三日と同じく、来宅の人びとと談合の日と決める。一歩も外に出ず。定根の修行か。
午後、少々横になる。思索──大石良雄(内蔵助)と大石良金(主税)のことを思う。父の性格──良金の純情。
彼らは主従の仇──一つの首に生涯を散らす。悲し。あさまし。われらは、万人救済による生涯。百千万億倍優れた──法戦。
先生の墓前に──広宣流布が終わりました、とご報告できるまで、私は闘う使命があるのだ。
夜、昨日に続き読書。
6 一月六日(火) 晴
身体を、静養させてくれた正月。
職員と、初顔合わせ。皆、元気。一人の職員に、頭痛める。
午後──新橋のRにて、新年宴会。ふぐ料理を食す。おいしかった。
終わって六時より──皆で東京タワーにのぼる。東京の夜景を見る。寒風しきり。面白からず。
理髪店による。さっばりして、文京の青年部の会合に出席。厳しき宗教革命についての指導を──。
男女青年部企画室のメンバー──一緒に自宅へ。信頼しあうこの人たちは、必ずや大人材になりゆくことだろう。
「マウルヤ王朝の最大の意義が、チャンドラグプタの孫アショカ(阿育)によって創り出された独特なインド的帝国にあるとすれば、われわれは右の見方に賛同せざるを得ないであろう。アショーカ王は、マウルヤ帝国の巨大な権力を傾けて、ダルマ(法)の支配を打ちたてようとした。その法は特にブッダによって説かれたもの、慈悲の理想を原理とするものである」(和辻哲郎著『倫理学』)
妻とともに、ラーメンを食う。美味。
就寝、一時三十分を過ぎるか。
7 一月七日(水) 快晴
午後三時から──本年初の連合会議。
学会建設の寺院を──全部、総本山に御供養することに決定。当然のことであり、これが本筋でもある。
帰り、老いたる理事長、理事らと焼き鳥を食す。進歩的な話題全くなし。若き、よき友がほしい。未来の清新の友が、側にほしい。
8 一月八日(木) 曇
午後六時より子供会。N園にて。
先生ご在世からの定例。
三十一組の先生指名の子らに加えて──集いし人数七十六名となった。
無意味な会合であってはならず──子供会の指針ともいうべき考えを話す。
一、恩師は父である。父の遺訓を護り、実践することが根本である。
一、全学会を指導していける、努力と責任感をもて。
一、真の兄弟、姉妹となり、全学会を死守せよ。
一、主・師・親の後継を護り、広宣流布を実現しゆく人であれ、と。
帰り、青年部首脳たちと語りながら帰宅。
はやくも、満三十一歳となる。
人生──生涯にとって──最重大の年代に入るか。
9 一月九日(金) 曇
明るい家、わが家。新春のごとき生命、わが家族。妙法即蘇生の生活
『法華経』──「法師品」に曰く、
合掌して我が前に在って 無数の偈を以って讃めん
是の讃仏に由るが故に 無量の功徳を得ん
持経者を歎美せんは 其の福復彼に過ぎん
午後二時より──本部に於て、社友会を。
新春放談のごとく、その会、終了。
夜、遅くまで在本部。今日も悔いなき一日。帰宅、十二時を過ぎる。
10 一月十日(土) 曇
昨秋は大風あり。黒日あり。本年、また二の日出づ。自界叛逆の、いよいよの瑞相なり。
また、黒き雨降れりと報道記事あり。今年の秋、彗星出づとの記事もあり。太陽の黒点は、最大になりゆく、と。
われら凡人は、社会の現象のみを追い──天体の不思議の作用を深く知らず。法眼よりみれば──大聖人様ご在世と、厳しく類似せる時世か。在世と今日──その本質は一つ。その未来現象の方程式も、また確信せざるを得ず。
正法流布の時──いよいよ来るか。
地涌の菩薩の使命──ますます重大な行動に入るか。
日本の前途──社会──世界の動向──動かしゅく大信心でありたし。
分別功徳品に日く「悪世末法の時 能く此の経を持たん者は」と。
夜半まで──先生の指導を整理。
11 一月十五日(木) 曇
成人の日。
自室に──バラの花、数本。
午前十時二十分発の日航機で、羽田をたつ。午後一時三十分──千歳空港着。
多数の同志待つ。申しわけなし。われよりも、喜々たる顔。
蒙明の七百七年──第一歩の闘争は、恩師の故郷から、と決意。
六時より──思い出の小樽市公会堂にて、御書講義と質問会。「日厳尼御前御返事」。
参加の数──千人なり、と。
12 一月十六日(金) 晴
午前八時三十五分発にて──小樽より、旭川へ向かう。健康状態もよい。嬉しかった。
午後一時三十分──旭川着。多数の同志待つ。
二時三十分より──大法寺にて、御書講義「西山殿御返事」ならびに質問会。超満員。
六時三十分より──N宅にて、再び御書講義「妙一尼御前御返事」と、質問会。
終わって──男女青年部幹部会。
北海道の冬景色を、心ゆくまで味わう。
忘れ得ぬ、雪と清気と牧歌調の街──旭川。
13 一月十七日(土) 曇
旭川駅──午後零時三十五分発にて、夕張へ向かう。
北海道は、実に雄大だ。世界の冠たる──精神界の大開発を決意する。
いつの日か、この大地よりあまたの指導者が輩出するのは。
夕張駅──五時三十分着。
大歓迎をうける。ありがたい。これらの強き同志あれば──これからの闘争に、断じて敗れまい。この人びとのために──私は起たねばならぬ。時は‥‥刻一刻と近づいて来た。どうしょうもない。時の流れか、要求か、宿命か。
夕暮れの──小雪ふるなか──T支部長宅へ。
夜──映画館を借り、御書講義「四条金吾殿御返事」と質問会。
立錐の余地なき、この熱と力を、求道の姿にと──ますます決意堅む。
炭労事件の発祥地。
恩師の、若き青春の教鞭をとりし地。
文京の友らが、築きし歴史の地。
夜半まで、T宅で幹部たちと、過去のこと、現在のこと、未来のことを、語る。懐かしい、懐かしい地、友、時であった。
14 一月二十一日(水) 快晴
朝、M君来る。女性問題で自殺まで決意の様子。可哀想でならなかった。因果の厳しさ。──真剣に人問革命の指導を。
午後、K君の結婚式に出席。
夜、本部幹部会。豊島公会堂。元気に指導する。
帰宅、十時三十分。
シュヴァイツァーの『バッハ』(辻荘一・山根銀二訳 岩波書店)を開く。
暖かな一日であった。
天皇機関説を提唱し、天皇主権を厳しく攻撃した美濃部達吉は、弱冠二十七歳よりこの提言を三年間で確立した、と。青年期のみ、偉大な創造と勇気と、正義の闘争ができるものか。