Nichiren・Ikeda
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昭和三十四年(一月)
「若き日の日記・下」(池田大作全集第37巻)
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13 一月十七日(土) 曇
旭川駅──午後零時三十五分発にて、夕張へ向かう。
北海道は、実に雄大だ。世界の冠たる──精神界の大開発を決意する。
いつの日か、この大地よりあまたの指導者が輩出するのは。
夕張駅──五時三十分着。
大歓迎をうける。ありがたい。これらの強き同志あれば──これからの闘争に、断じて敗れまい。この人びとのために──私は起たねばならぬ。時は‥‥刻一刻と近づいて来た。どうしょうもない。時の流れか、要求か、宿命か。
夕暮れの──小雪ふるなか──T支部長宅へ。
夜──映画館を借り、御書講義「四条金吾殿御返事」と質問会。
立錐の余地なき、この熱と力を、求道の姿にと──ますます決意堅む。
炭労事件の発祥地。
恩師の、若き青春の教鞭をとりし地。
文京の友らが、築きし歴史の地。
夜半まで、T宅で幹部たちと、過去のこと、現在のこと、未来のことを、語る。懐かしい、懐かしい地、友、時であった。
14 一月二十一日(水) 快晴
朝、M君来る。女性問題で自殺まで決意の様子。可哀想でならなかった。因果の厳しさ。──真剣に人問革命の指導を。
午後、K君の結婚式に出席。
夜、本部幹部会。豊島公会堂。元気に指導する。
帰宅、十時三十分。
シュヴァイツァーの『バッハ』(辻荘一・山根銀二訳 岩波書店)を開く。
暖かな一日であった。
天皇機関説を提唱し、天皇主権を厳しく攻撃した美濃部達吉は、弱冠二十七歳よりこの提言を三年間で確立した、と。青年期のみ、偉大な創造と勇気と、正義の闘争ができるものか。