Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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昭和三十一年(十二月)  

「若き日の日記・下」(池田大作全集第37巻)

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27  十二月二十七日(木) 快晴
 無理して、今日も出勤。責任上、一日たりとも休んでいられない。無理が、いい悪いは別として、″生命″は実に不思議なものだ。全く無理もきくし、休んでいる時より、調子がよくなる場合もある。
 先生より、演繹法と帰納法の話あり。
 西洋哲学のリッケルト──新カント学派の認識論と、東洋仏法の唯識論は、正反対である。西洋哲学は″六識″より認識が出発する。そして、″七識″″八識″″九識″にいたる。
 これに反し″九識心王──真如の都″を出でて、″八識″″七識″″六識″にいたるを、『仏法』なりと。
 演繹的──民族。帰納的──民族。いずれが、勝るか。その中道が、必要か。未来は──。
 全体会議中、先生の、少年時代、青年時代、そして牧口先生に、お仕えされたお話に、感銘多々。胸中に、脳裡に。
 師を守り、師に仕え、広布の楔を、鋭く深く打った、先生の、言々句々、満足そうなお顔。
 来年は── 勤行を、真剣に。
      心身を、鍛える。
      境涯を、磨こう。
      教学の、実力を。
 来年こそ、来年とそ、自体顕照を。
28  十二月二十八日(金) 曇
 先生の、お身体がお悪いとの報告を、秘書室より聞く。心配す。二、三日、自宅にて、ご静養するとの事。そうして戴きたい。
 激越な一年の、お疲れがお出になったのであろう。師も病み、己れも病む。悔し。何故、内外の人々は、健康なのか。
 歳末の経済、心配していたが、不思議に何とか、年を送れそうである。冥益なり。
 先生からの、電話を待てど、来たらず。淋し。明日は、必ず──。

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