Nichiren・Ikeda
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昭和二十九年(三月)
「若き日の日記・上」(池田大作全集第36巻)
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9 三月二十一日(日) 快晴
相構へ相構へて心の師とはなるとも心を師とすべからずと仏は記し給ひしなり、法華経の御為に身をも捨て命をも惜まざれと強盛に申せしは是なり。(義浄房御書)
先生を中心に、職員等二十七名にて、春季旅行。十九日より二泊三日―――楽しい旅であった。
伊豆の蓮台寺温泉に一泊。
二日目、修善寺、南屋に泊まる。
先生も、疲れられた御様子。皆も、ぐったりしていた。
市ヶ谷レストランで、会食をし、それぞれ帰宅。
10 三月二十三日(火) 晴れたり曇ったり
早朝、原稿を書く。
六時、水滸会。次第に重責を感じてくる。
帰り、支部長宅訪問。
今後の、支部発展について、真剣な打ち合わせをする。
最高幹部の連絡が、支部運営の根本であることを主張。
何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し、毒気深入・失本心故は是なり。(曾谷殿御返事)
11 三月三十日(火) 快晴
六時、本部幹部会。豊島公会堂。
本部命令にて、
情報部最高顧問。
参謀室長に任命さる。
一段、一段、学会の中核となって、広布の推進をせねばならぬ。
これが、自己の使命だ。草花あり、花を咲かせる。これ使命なり。
自己あり、妙法の流布をいたす。これ使命なり。
帰り、支部長Mさん等と、すしを食す。
神と仏と法華経にいのり奉らばいよいよ増長すべし、但し法華経の本門をば法華経の行者につけて除き奉る結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし。(治病大小権実違目)