Nichiren・Ikeda
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昭和二十九年(三月)
「若き日の日記・上」(池田大作全集第36巻)
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4 三月九日(火) 快晴
本年八月で、入信七年目となる。一大転換期か。―――
微熱下がらず。どうも、身体の具合悪し。
六時本部にて、水滸会行わる。
『モンテ・クリスト伯』に入る。第二期生、第三期生と、優秀なる青年の輩出を、心から期待する。
先生の観察、思索、見解の偉大さ、本当に私は驚いた。
帰宅、十一時少々前。
5 三月十日(水) 高曇
先生、少々、健康を取り戻された御様子。嬉しい、全く嬉しい。
日本史等、終了に近づく。
特に、鎌倉時代、足利時代篇に、興味をおぼえる。
十一時、第二会長室にゆく。
先生と、一時間語る。
一、生命論―――死と病気とはイコールに非ずという事
一、第三代会長、理事長について
一、三年後の学会と、私への指針
一、学会を永遠ならしめていく重要項目について
以上の要点を指導して下さる。
不逞の弟子は、師匠の恩愛に、心から泣く。
夕刻、K氏と「大白蓮華」の編集の打ち合わせ。
6 三月十一日(木) 雨
一日中、雨。
午後、本部にて面接。十人内外。
個人指導も、なかなか難しいものだ。
先生、先輩の指導は、本当にうまい。その人の悩み、求めている要点を、良くつかみ、解明している。簡単のようで、実に大切なことだと思う。此の指導によって、その人の一生が決まってしまうのだ。
六時、御書校正、明和印刷―――十一人の教学部員と一緒であった。
7 三月十四日(日) 快晴
在大石寺。七時、起床。
霊鷲の、聖域におれども、われ元気なし。
八時、牧口会長の墓参、読経、唱題。
九時、御開扉、祈ること多々。
富士発、一時十分、東京に向かう。車中の人となる。
六時三十分、常泉寺での第一部隊総会に出席。元気な青年の瞳、顔、頼もし。
8 三月十八日(木) 高曇
早朝―――
″永遠の生命に関する御聖訓について″と題し、論文を書く。十五枚。教授試験の論文である。深き思索なき自己を、つらつら反省する。
六時、文京支部幹部会、常在寺。
冗気やゃなし、激励に力を注ぐ。
八時、「大白蓮華」編集会議。
十名の集合予定が、三名しか、集合せず。先生、非常に怒る。
当然の事なり。
徳川三代将軍の話有り。―――先生を、お送り申す車中にてうけたまわる。
唯一人、先生を、厳護する決意深くす。
9 三月二十一日(日) 快晴
相構へ相構へて心の師とはなるとも心を師とすべからずと仏は記し給ひしなり、法華経の御為に身をも捨て命をも惜まざれと強盛に申せしは是なり。(義浄房御書)
先生を中心に、職員等二十七名にて、春季旅行。十九日より二泊三日―――楽しい旅であった。
伊豆の蓮台寺温泉に一泊。
二日目、修善寺、南屋に泊まる。
先生も、疲れられた御様子。皆も、ぐったりしていた。
市ヶ谷レストランで、会食をし、それぞれ帰宅。
10 三月二十三日(火) 晴れたり曇ったり
早朝、原稿を書く。
六時、水滸会。次第に重責を感じてくる。
帰り、支部長宅訪問。
今後の、支部発展について、真剣な打ち合わせをする。
最高幹部の連絡が、支部運営の根本であることを主張。
何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し、毒気深入・失本心故は是なり。(曾谷殿御返事)
11 三月三十日(火) 快晴
六時、本部幹部会。豊島公会堂。
本部命令にて、
情報部最高顧問。
参謀室長に任命さる。
一段、一段、学会の中核となって、広布の推進をせねばならぬ。
これが、自己の使命だ。草花あり、花を咲かせる。これ使命なり。
自己あり、妙法の流布をいたす。これ使命なり。
帰り、支部長Mさん等と、すしを食す。
神と仏と法華経にいのり奉らばいよいよ増長すべし、但し法華経の本門をば法華経の行者につけて除き奉る結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし。(治病大小権実違目)