Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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毎自作是念。以何令衆生。‥‥  

講義「方便品・寿量品」(池田大作全集第35巻)

前後
6  民衆の幸福阻む魔を破る戦いを
 戸田先生は、学会員の功徳の体験を聞くことを何よりも喜ばれた。一人の歓喜の体験を聞かれると、必ず、周りの人に呼びかけられた。
 「しっかりと信心して、そうして、うれしい話をぞくぞくと聞かせていただきたいと思うのです。ただ私の願いはそれだけです。皆さんがしあわせになってくだされば、ほかになんの願いもない」「会長としてみなさんとともに起つのは、いっさいの人を幸福にしたいためである。これが、唯一の願いである」(『戸田城聖全集』4)と。
 私も同じ心です。だからこそ、民衆が幸福になろうとすることを阻む、邪悪な障魔と戦うことは、仏子の重大な務めである。
 戸田先生の最後の指導は、「邪悪とは、断固、戦え。追撃の手をゆるめるな!」であった。
 人々を幸福にする戦い、幸福を阻む魔を破る戦い──。その仏の戦いに連なる人もまた、「仏の使い」「仏子」であることは言うまでもありません。「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身」の実践は、仏の誓顕であり、同時に、仏弟子の決意です。どこまでも「民衆の幸福」を目的にしていけば、創価学会はさらに永遠に発展していきます。
7  御祈念文も強き一念を定めて
 講義を結ぶにあたって、勤行の際の「御祈念文」について、一言述べておきます。「祈念」とは、心に思い浮かべて祈ることです。したがって、形式的に御祈念文を読んでいても、実際に思っているこ、頭に浮かんでいることのほうが、そのまま御祈念の内容となってしまうのです。
 戸田先生は、よく言われていた
 ──唱題の折、いろいろな雑念が浮かぶのは人間としてあたりまえです。だが、真剣に唱えていけば、しだいに御本尊のことだけを考えるようになれます。真剣に念ずる力があれば、種々の生活の悩みが解決される。その時は、女房の愚痴も子守歌のように聞ける。しかし、観念文(=現在の「御祈念文」のこと)の時は気をつけなさい。観念とは、心に念ずることだ。それがきちんと御本尊に映ります。″あいつは、とんでもない人だ″と思いながら観念文をやると、いくら口で観念文を言っていても、心の中で考えている「とんでもない人だ」ということのほうを、御観念申し上げていることになる──。
 「祈念」とは、真剣勝負です。何を祈っているかが、その人の境涯です。祈りは、具体的でなければならないし、また決意のこもった、真剣なものでなければなりません。唱題にせよ、祈念にせよ、自身の「一念」を定めた祈りが最も大切です。生命の底からの、ひたぶるな強き祈りが、諸仏・諸天に感応するのです。
8  「創価の世紀」へ獅子奮迅の戦いを
 人類の経典・法華経──その真髄中の真髄を明かした「方便品」と「寿量品」の講義を、約一年をかけて進めてきました。私の心には、あらゆる嵐を悠然と見おろし、仏法の真髄を語られる戸田先生のお姿があります。師と弟子は、いつも一緒です。
 「さあ、きょうも戦える! きょうも広宣流布に前進できる!」──この感動の心で、私の一日は始まります。戸田先生にご挨拶をし、師子奮迅の戦いを開始する。私には、毎日が″感激の朝″なのです。「生命の世紀」「創価の世紀」への長征は、これからが本番です。勤行・唱題を根本に、広宣流布へ進む全国・全世界の同志の皆さまと共に、私もますます元気に、昇りゆく″太陽の心″で戦います。
 これまで学んできたように、妙法を読誦する私たちの生きる次元は、「世界」であり、「人類」です。また「三世永遠」の次元です。そして、その高き志で、現実の人生を、しっかりと歩んでいくのが私どもの生き方です。
 妙法という宇宙の永遠の曲に包まれて生きる人生の、なんと幸福なことでしょうか。尊い地涌の皆さまの、ご長寿を、健康を、栄光を、幸福を、深く深く祈りつつ、私の講義を終了します。

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