Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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我時語衆生。常在此不滅。‥‥  

講義「方便品・寿量品」(池田大作全集第35巻)

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4  苦海の社会を常楽の太陽が照らす
 ある地域で、太陽が厚い雲に覆われているからといって、他の地域でも覆われているとは限りません。経文に「余国」とありますが、仏の慈悲の陽光は、他の国土にも注がれるのです。「余国に衆生有りて 恭敬し信楽せば、我れは復た彼の中に於いて 為めに無上の法を説く」とあるように、仏を純真に信じる人のいるところ、″どこにでも″仏は出現するのです。そして無上の法を説いてくれる。
 文底から言えば、つねに住する不滅の仏とは、御本尊、南無妙法蓮華経如来です。その常住の仏が出現して説く無上の法とは、南無妙法蓮華経にほかなりません。私たちが不惜の信心で唱える題目の声は、そのまま常住の仏が無上の法を説く声となるのです。それは、功徳の実証などを通じて、妙法の無上の力を私たちに教えてくれます。
 経文に「苦海に没せり」とあります。仏の偉大な慈悲の光は、苦しみの海に沈んでいる人々に注がれている。苦海の社会を、常楽の太陽の光で燦々と照らすのが仏法です。
5  「生命の底から楽しみが涌き上がる」
 戸田先生も、寿量品講義で、こう述べられました。
 ──今、少なくとも社会人として活動している人で、心から世の中が「楽しい」と言い切れる人は恐らくないであろう。本当に楽しいとは、ただ、金があるとか、健康だからとか言うだけでなく、生命の底から楽しみが涌き上がってくるような状態でなければならないのである──と。
 戸田先生は、″生きていることそれ自体が楽しい″という「絶対的幸福境涯」を、全員が会得してほしいと念願されていました。法華経は、仏が、すべての人々に自分と同じ境涯を聞いてほしいと願って、その道を示した経典です。皆が、自分と同じ「太陽」のような存在になってほしい──それが「寿量品の心」です。
 「太陽」になる教えです。偉大なる自立のみちです。ロシアの詩人プーシキンは叫びました。
 「偽りの知恵は、
 不滅の知性という太陽の
 前に揺らぎ、くすぶる。
 太陽よ、万歳!
 闇よ。消えよ!」(А.С.Пушкин : Собрание сочинений, Том2, Художественная литература)
 人生、晴れの日ばかりではない。曇りの日も、冷たい雨の日もある。。吹雪に凍える時もある
 しかし、私たちは、どんな時も、何があっても、胸中の太陽を赫々と燃やしながら、毅然と進んでいきましょう。厳寒の冬であっても、必ず春の陽光は、近づいています。その時には、どんなに厚い氷の壁も溶け去って、春爛漫の大地を潤す水と変わるのです。

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