Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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諸善男子。如来見諸衆生。‥‥  

講義「方便品・寿量品」(池田大作全集第35巻)

前後
4  永遠の生命を説く仏の精神闘争
 いわば、始成正覚の説法は、「一人も退転させまい。落とすまい」という仏の深い決心から発した、壮大な″教育課程″と言ってよい。
 仏の永遠の生命を人々に信じさせるには、それほど深い思索と努力が必要だったのです。
 「生命の永遠」ということは、仏法以外にも、多くの宗教家や哲学者たちが生涯を懸けて追究した大テーマです。けれども、結局は観念で終わったり、自分一人の悟りで終わってしまい、それを民衆に開くことはできませんでした。無始無終の仏の大生命を「徳薄垢重」の凡夫に分からせることが、どれほどの難事であるか──。ここに、仏の壮絶な精神闘争があったのです。
 この偉大な仏の生命を、末法の民衆のために具現化されたのが、日蓮大聖人の御本尊です。末法のわれわれにとっては、御本尊への信心が「永遠への道」となるのです。御本尊を信じて、勤行・唱題に励み、広宣流布に生きぬくことによって、私たちの生命も、仏と同じ「永遠の幸福」の軌道に入っていけるのです。
 この妙法を信じ行ずる人は、「徳薄垢重の者」などではありません。世界一の「大善根の者」(御書一三六〇ページ)なのです。
5  仏は師子奮迅の心で衆生を利益
 時代は、まさに「楽於小法。徳薄垢重」享楽や利欲を追う、低い、小さな生き方が当然のような時代です。また、偉大な理想を持てないニヒリズム(虚無主義)の時代かもしれない。
 こうした現代社会の真っただ中で、私どもは、最高の「大法」──大生命哲学を学び、信じ、行じている。「永遠」を見つめ、「人類」を救うために進んでいるのです。
 これほど偉大な、福運に満ちた人生はない。だからこそ、妬まれないわけがありません。誤解や偏見や、少々の難は、ないほうが不思議なくらいです。堂々といきましょう! 私たちは胸を張って、人々の心を耕す作業を、ますます朗らかに展開していこうではありませんか。
 なお、天台は、この「諸善男子。如来見諸衆生‥‥」の経文の意義について、釈尊在世の「師子奮迅の益物(衆生を利益すること)」(大正三十四巻一三一ページ)であると論じています。民衆を救う「師子奮迅」の仏の戦いを述べたのが、この経文なのです。広宣流布への「師子奮迅」の実践が、この経文を身で読むことになるのです。

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