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日蓮大聖人・池田大作

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第十八章 末法下種の主師視 濁世に慈悲の薫風を

講義「開目抄」「一生成仏抄」(池田大作全集第34巻)

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8  万人が慈悲の実践を
 また、きわめて重要なことは、大聖人自らが慈悲の三徳を顕して悪世末法の衆生を救済されただけでなく、万人が慈悲に生きる具体的な実践として、折伏行と唱題行という道を開かれたことです。
 自ら慈悲に生きぬかれただけでなく、万人も慈悲に生きぬく道を示された。それが、末法の御本仏たる真のゆえんであると拝することができるのです。
 戸田先生は、大聖人が出現された意義を次のように語られています。
 「われわれは、自覚した慈悲の生活には、なかなかはいれないのが普通である。ここに、大聖人御出現の意義があるのである。すなわち、末法という時代は悪人が多く、絶対に慈悲の行業が必要な時代であるが、現実は無慈悲きわまりないのである。(中略)本然の実相は慈悲でありながら、人間としては仏の智慧の発展がなければ幸福がないのである。
 すなわち人間は、仏の智慧を啓発して真の慈悲に生きるのが、いっさいの幸福を獲得する根本であり、その智慧は信心によってのみえられることを深く銘記すべきである」(『戸田城聖全集』3)
 悪世末法の凡夫が慈悲に生きる。これは簡単なものではありません。しかし、そのことが実現しなければ、仏法の本来の目的は永久に成就しません。そうでなければ、末法の救済といっても、時折、慈悲に優れた仏が出現し、疲弊し病んだ衆生に手を差し伸べる形でしか実現しません。
 しかし、そうした救済の方途では、やがてまた、その仏の恩恵を忘れた次の時代の衆生が病み始めます。そこに、再び仏が出現して救済の手を差し伸べる。あるいは、衆生は、どこか別の国土に住む仏の存在を渇仰し、遠い別世界の浄土に生まれることだけを願う。そのようなことを繰り返しているのでは、末法の国土を変革することはできません。
 その根本的な誤りは、仏一人だけが慈悲の救済主であるとする考え方にある。それでは、釈尊が末法の広宣流布を地涌の菩薩に付嘱した真意を理解することはできません。すなわち、絶対の救済者と、救われる信徒たち――この固定した関係を作り上げてしまえば、仏法の目的である慈しみ合う世界を広げていくことはできません。
 無慈悲の末法万年を真の意味で救いきるためには、仏の三徳を継承した法華経の行者が出現し、その法華経の行者を軸として無数の慈悲の体現者である法華経の行者、慈悲の実践者が誕生していくしかないのです。
 「開目抄」では、大聖人が末法の「主師親の三徳」を宣言される直前に、邪智謗法の国の修行のあり方として折伏行を明示し、大聖人に連なる者が皆、折伏の実践を行いゆくように示されています。
 その本意は、折伏行に生きゆくことで一人一人が慈悲の体現者となり、慈悲を世界に弘めていくことを教えられていると拝されます。
 凡夫が慈悲の働きを通して、他者と善の関係を結んでいくことが示されているのです。
 確かに、凡夫にとって慈悲は直ちに出るものではありません。しかし、凡夫は慈悲の代わりに勇気を出すことはできます。そして、慈悲の法を実践し弘通すれば、その行為は、まさに慈悲の振る舞いを行じたことと等しいのです。そして、凡夫から凡夫へ、慈悲の善のかかわりが無数に広がっていきます。
 慈悲の縁起の世界を勇敢に広げることこそ、釈尊を源とする真の仏教の系譜を継ぎ、発展させることになるのです。
9  「慈悲の世界」の破壊者との闘争
 この法華経の「慈悲の世界」を断絶しようとする悪人が出現するのが末法です。直接の破壊者が出現するだけでなく、末法の病根は、本来であれば法華経を継承すべき者たちが、その破壊に対して放置して傍観の態度をとることです。
 無責任の傍観者が破壊者を生み出す温床となる。その意味で、本来の役割のうえから、傍観者のほうが罪は大きいと言えます。
 したがって、大聖人は「開目抄」の結びにあたって、先に挙げた主師親三徳の御文の次下に、大聖人御自身と対比される表現で「一切天台宗の人は彼等が大怨敵なり」と仰せられ、日本の天台宗を痛烈に破折されています。
 民衆のために法華経を宣揚し、法然らの邪義を打ち破って立ち上がらなければならなかったのに、既成権力に媚びるいき方を選んだ。大聖人は、そうした天台宗の輩こそ、日本国の諸人にとって「大怨敵」であると呵責されているのです。この破折こそ、大聖人の宗教革命です。
 現代で言えば、まさに、本来立ち上がるべき時に立ち上がらず、かえって謗法の軍門にくだり、果ては、仏法の正義に立ち上がった牧口先生を切り捨てようとした戦時中の宗門こそ、この「大怨敵」の末流であると呵責しておきたい。そして、この保身の傍観者から、今日、広宣流布を破壊しようとする極悪・邪法の日顕宗が生まれたのです。
 謗法を責めぬいてこそ、宗教革命は成就する。戦えば、必ず変革を拒む者たちから中傷されます。しかし、そうした輩に中傷されることこそ、牧口先生、戸田先生は誉れとされました。
 永遠の指導者、牧口先生・戸田先生の両先生が創価の旗を掲げて以来、地涌の闘将に呼び出された無数の尊き庶民が、全世界で慈悲の光輝を放っています。悲惨と不幸に苦しむ人々に希望を灯し、すべての母と子が安穏に生きる平和の社会を築く潮流は、全世界で確固たる大河となりました。
 全世界の同志の皆さまの勇気ある慈悲の行動を、必ずや牧口先生も戸田先生も喜ばれていると確信します。また、世界中の地涌の勇者の慈悲行を、日蓮大聖人が賞讃なされていることは間違いありません。
 創価学会は仏の慈悲の団体です。創価学会こそ、濁流と化しつつある世界の宿命を転換する主師親の本流であるとの誇りも高く、私たちは、二〇三〇年の創立百周年を目指して、創価の世紀を築いていこうではありませんか。

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